自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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祇園祭に行ってきました。
※8/10 間違いがあったので一部訂正しました。(*印)
せっかく浴衣を新調したので、た~が祇園祭に連れて行ってくれました。
まずは南座*の前で記念撮影です。パシャ

この日は宵山だったので歩行者天国。
早速、路上で舞いを発見!
鷺舞だそうです。
人だかりで私からはよく見えませんでした。

まだメインの鉾を見ないうちに「都路里(つじり)」へ
噂では聞いていたけどこれが祇園本店です。
店内で食べるのは行列が出来ていたので、テイクアウトで抹茶アイスです。
途中に「めやみ地蔵」というのがあったのでお参り。
鎌倉時代に大雨で鴨川が洪水になった時、ここのお地蔵さんに祈ったところ雨がぴたりとやんだので「雨やみ地蔵」となったのが時代と共に「めやみ」に転化したとも言われています。
祭りの日の京都はお店が早く閉まるそうなのでまずは腹ごしらえです。
にしんそばの「松葉」というお店です。
ここがにしんそばの元祖だそうです。

祇園祭と言えば鱧です。
ということで「鱧の落し」も注文しました。本場で食べる鱧は格別です!

北海道でとれたにしんが身欠き鰊に加工されて北前船で京都へ。
それをそばに乗っけて出したのがにしんそばの始まりです。
にしんそばと言えば去年の大晦日にた~が作ってくれました。
京都では年越しそばに食べるそうです。
これがその時の写真です。ゆばを金屏風みたいに立ててます。た~会心の作。
この路地は新橋通り*です。
去年もここで写真撮りました。
今は置屋も少なくなったそうですが灯りに誘われて迷い込んだみたいです。

高そうで入るのがこわいような路地に面した看板。
鴨川沿いにずらっと並んだ川床。
ここは「東華菜館」です。中華料理です。橋から丸見え。
平安時代初めに都では疫病が大流行しました。人々はこの世に未練を残して亡くなった怨霊の祟りだと信じ神仏にお祈りし怨霊を鎮めるために市中を練り歩く御霊会を催しました。
特に朝廷(桓武天皇)は民衆以上に祟りを恐れていました。
もともと平安京に遷都した理由のひとつが自分が死に追いやった皇族たち(特に早良親王)の祟りから逃れるためでもあったと言われています。
風水で選ばれた地なので平安京自体が結界になっているのですが、それでも不安な桓武天皇は都の周囲に新たに結界を張るほどビビっていたそうです。
そんな朝廷が民衆の動きに呼応して御霊会を年中行事にしたのが祇園祭の起源だそうです。
そしていよいよ山鉾が見えてきました。
祇園祭と言うと長刀鉾しか知りませんでしたがなんと32基もの山鉾が出てるそうです。
よくTVで見るお稚児さんが刀を振り下ろしてるのは、通りに貼られたしめ縄を切って結界を開いているのだそうです。(た~からのうけ売り)
これが有名な長刀鉾です。
カメラを縦にしても先端まで入りません。
TVでしか聞いたことがないお囃子が聞えます。コンチキチン
提灯にはスポンサーの名前が入っています。
昔は地元のお店の名前が入っていたのに今は大手企業ばかりだそうです。
各山鉾は色とりどりのペルシャやインドや中国の絨毯で飾られています。
安土桃山時代から山鉾を飾りつけるようになり、競うようにだんだん海外からの珍しい織物で飾られるようになったそうです。(今は復元された絨毯を使用しています)
写真ではよく見えませんが下の小さい地味な布の中には世界で類を見ないデザインの物やトルコのコンヤ絨毯のモチーフに似てる物もあり世界的にも貴重だそうです。

お稚児さんも昔は氏子の家から選ばれていたのに、ちょうどいい位の歳の子がいる家は限りがあるしお金がかかる(一千万単位)ので氏子だけでは回らなくなって、今は氏子以外からも選ばれてるそうです。
大体お金持ちの家からです。
ちなみに今年は京つけものの会社社長の長男だったそうです。
山鉾と言ってますが「山」と「鉾」があるそうです。知らなんだ~。
私にはどれがどれや違いが分りませんが、鉾はそれぞれに先端にシンボルマークがあり、山は上に人形などを載せておりてっぺんに木が付いているそうです。
これは函谷鉾(かんこほこ)です。
建物から鉾に渡れるようになってて沢山の人が中に入って行ってました。
地元の人だけ中に入れるそうです。

函谷鉾のお神楽が練り歩きます。
月鉾です。
これもすごい豪華な絨毯です。
ちまきを売ってた巫女さんたちが遊んでました。
途中、四条新町下がった*ところに屋台が並んでいました。
鮎の串焼きを発見!!

ここで鮎の串焼き一本食いです。
綾傘鉾(あやかさほこ)です。
可愛らしい鉾でした。
これは鶏鉾(にわとりぼこ*)です。
う~ん、堪能しました。
函谷鉾で買った粽(ちまき)です。
粽というから食べれるものだと思ってたらこれは厄除けのお守りで食べれないそうです。今の今まで知りませんでした。恥ずかしい

自由自由の祇園祭レポートでした。
all photo by た~
※8/10 間違いがあったので一部訂正しました。(*印)
せっかく浴衣を新調したので、た~が祇園祭に連れて行ってくれました。
まずは南座*の前で記念撮影です。パシャ

この日は宵山だったので歩行者天国。
早速、路上で舞いを発見!
鷺舞だそうです。
人だかりで私からはよく見えませんでした。
まだメインの鉾を見ないうちに「都路里(つじり)」へ
噂では聞いていたけどこれが祇園本店です。
店内で食べるのは行列が出来ていたので、テイクアウトで抹茶アイスです。
途中に「めやみ地蔵」というのがあったのでお参り。
鎌倉時代に大雨で鴨川が洪水になった時、ここのお地蔵さんに祈ったところ雨がぴたりとやんだので「雨やみ地蔵」となったのが時代と共に「めやみ」に転化したとも言われています。
祭りの日の京都はお店が早く閉まるそうなのでまずは腹ごしらえです。
にしんそばの「松葉」というお店です。
ここがにしんそばの元祖だそうです。
祇園祭と言えば鱧です。
ということで「鱧の落し」も注文しました。本場で食べる鱧は格別です!
北海道でとれたにしんが身欠き鰊に加工されて北前船で京都へ。
それをそばに乗っけて出したのがにしんそばの始まりです。
にしんそばと言えば去年の大晦日にた~が作ってくれました。
京都では年越しそばに食べるそうです。
これがその時の写真です。ゆばを金屏風みたいに立ててます。た~会心の作。
この路地は新橋通り*です。
去年もここで写真撮りました。
今は置屋も少なくなったそうですが灯りに誘われて迷い込んだみたいです。
高そうで入るのがこわいような路地に面した看板。
鴨川沿いにずらっと並んだ川床。
ここは「東華菜館」です。中華料理です。橋から丸見え。
平安時代初めに都では疫病が大流行しました。人々はこの世に未練を残して亡くなった怨霊の祟りだと信じ神仏にお祈りし怨霊を鎮めるために市中を練り歩く御霊会を催しました。
特に朝廷(桓武天皇)は民衆以上に祟りを恐れていました。
もともと平安京に遷都した理由のひとつが自分が死に追いやった皇族たち(特に早良親王)の祟りから逃れるためでもあったと言われています。
風水で選ばれた地なので平安京自体が結界になっているのですが、それでも不安な桓武天皇は都の周囲に新たに結界を張るほどビビっていたそうです。
そんな朝廷が民衆の動きに呼応して御霊会を年中行事にしたのが祇園祭の起源だそうです。
そしていよいよ山鉾が見えてきました。
祇園祭と言うと長刀鉾しか知りませんでしたがなんと32基もの山鉾が出てるそうです。
よくTVで見るお稚児さんが刀を振り下ろしてるのは、通りに貼られたしめ縄を切って結界を開いているのだそうです。(た~からのうけ売り)
これが有名な長刀鉾です。
カメラを縦にしても先端まで入りません。
TVでしか聞いたことがないお囃子が聞えます。コンチキチン
提灯にはスポンサーの名前が入っています。
昔は地元のお店の名前が入っていたのに今は大手企業ばかりだそうです。
各山鉾は色とりどりのペルシャやインドや中国の絨毯で飾られています。
安土桃山時代から山鉾を飾りつけるようになり、競うようにだんだん海外からの珍しい織物で飾られるようになったそうです。(今は復元された絨毯を使用しています)
写真ではよく見えませんが下の小さい地味な布の中には世界で類を見ないデザインの物やトルコのコンヤ絨毯のモチーフに似てる物もあり世界的にも貴重だそうです。
お稚児さんも昔は氏子の家から選ばれていたのに、ちょうどいい位の歳の子がいる家は限りがあるしお金がかかる(一千万単位)ので氏子だけでは回らなくなって、今は氏子以外からも選ばれてるそうです。
大体お金持ちの家からです。
ちなみに今年は京つけものの会社社長の長男だったそうです。
山鉾と言ってますが「山」と「鉾」があるそうです。知らなんだ~。

私にはどれがどれや違いが分りませんが、鉾はそれぞれに先端にシンボルマークがあり、山は上に人形などを載せておりてっぺんに木が付いているそうです。
これは函谷鉾(かんこほこ)です。
建物から鉾に渡れるようになってて沢山の人が中に入って行ってました。
地元の人だけ中に入れるそうです。
函谷鉾のお神楽が練り歩きます。
月鉾です。
これもすごい豪華な絨毯です。
ちまきを売ってた巫女さんたちが遊んでました。
途中、四条新町下がった*ところに屋台が並んでいました。
鮎の串焼きを発見!!
ここで鮎の串焼き一本食いです。
綾傘鉾(あやかさほこ)です。
可愛らしい鉾でした。
これは鶏鉾(にわとりぼこ*)です。
う~ん、堪能しました。
函谷鉾で買った粽(ちまき)です。
粽というから食べれるものだと思ってたらこれは厄除けのお守りで食べれないそうです。今の今まで知りませんでした。恥ずかしい


自由自由の祇園祭レポートでした。

all photo by た~
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