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長屋王の木簡をたずねて
全国の木簡研究について奈良文化財研究所 都城発掘調査部資料研究室長の話を聞きに行きました。
1. 木簡の資料としての特質
2. 日本木簡私用の始まりとそのルーツ
Ⅰ 7世紀木簡の具体的様相
Ⅱ 日本木簡のルーツ
3. 飛鳥・藤原京の木簡と律令国家の建設
Ⅰ 飛鳥池遺跡と石神遺跡の木簡
Ⅱ 大宝令の施行と木簡の変容
4. 平城宮の構造解明と木簡
Ⅰ 朱雀門広場調査の概要
Ⅱ 平城京出土木簡の現状
5. 平城京の木簡と都の生活
Ⅰ 長屋王家木簡と貴族の家政
Ⅱ 二条大路木簡と皇后宮
6. 寺院造営と木簡
Ⅰ 西大寺の造営と西大寺旧境内出土木簡
Ⅱ 西大寺食堂院跡の木簡
7. 地方役所の木簡
Ⅰ 木簡研究をリードしてきた主な地方の遺跡
Ⅱ 地方木簡研究の新しい流れ
Ⅲ 最近の出土事例
8. 広がる木簡の世界
Ⅰ 木簡の一般的な分類
Ⅱ 木簡分類の新しい流れ
Ⅲ 墨書のある木製品の外観
Ⅳ 木簡私用の空間的、時間的広がり
・・・と何やら難しそうなタイトルですが
木簡は古くは江戸時代の発見記録があり、現在に残るもので秋田県払田柵跡や三重県柚井遺跡の木簡があります。
昭和36年に平城宮の最初の木簡が発見されたのをきっかけに本格的な研究が始まったそうです。全国で38万点以上が発見されておりその中で平城京で出土したのは半分近い約17万点。
今も新たな発掘でその数はぞくぞくと増え続けています。
木簡と言えば長屋王が有名ですが。
藤原氏(藤原四兄弟)の策略にはまり謀反を起こしたとの濡れ衣を着せられ妻の内親王、幼い子供たちを殺され自らも自死した悲劇の皇族であります。
1986年(昭和61年)デパートの建設予定地で発掘作業を行ったところ奈良時代の貴族邸宅阯が大量の木簡と共に発見され、長屋王の邸宅と判明しました。
木簡に書かれてある記録で長屋王邸だと分ったそうです。
平城宮内で発見された木簡はただ単に役所内の記録として書かれた物もあれば地方から送られてくる様々な物品の荷札もありました。また手紙(手紙は紙に書いた)の封緘にも使われました。
平城宮に出入りする職人へ給与をいくら払うようにといった各部署間の指示書や文字の練習、いたずら書きに至るまで沢山あるそうです。
なので木簡は古代の人々の生活ぶりも分るし、地方との物産のやりとりも分るのです。
こんな長い木簡もあります。右のは文字というより絵が描かれてるみたいです。
形も色々あります。先が尖っているものは荷札で品物の袋に突き刺してたそうです。
「長屋王家木簡」と「二条大路木簡」です。
長屋王の妃、吉備内親王(きびのないしんのう)宛ての荷札木簡も発見されています。
長屋王の妻の一人に藤原不比等の娘の藤原長蛾子(ながこ)がいますが(藤原四兄弟の異母妹)、長屋王の乱では長蛾子とその子供たちは罪に問われませんでした。
しかもこの妃宛ての木簡がいまだひとつも発見されていないのだそうです。
生活していた気配が全く感じられないのだそうです。この辺がミステリーだそうです。
長蛾子はどこにいたのか。。。?
瓦工房で見つかった木簡。3.3cmという今までで一番大きい文字が書かれています。
これは一番長い文字が書かれています。
「行」という字です。
何度も何度も練習したみたいです。
これは一番長い木簡。左は人形(ひとかた)の一番大きいのです。ちょっとコワイ。。
一番多く文字が書かれた木簡。230文字です。
右は一番多く文字が書かれた土器。
「岡本宅謹申請酒五升」と何度も何度も書かれています。
同じ文章が書かれた木簡も側で発見されたので木簡を見ながら習字の練習をしたようです。
これは何だろう?
これは「告知木簡」
いなくなった馬を探してほしいと言った内容です。
「湯ノ部遺跡1号木簡」
干支年表記の木簡(年代特定が容易)で内容が分る現在最古の木簡です。
横に「丙子年十一月作文記」と書かれてあるので西暦676年だと分ります。天武天皇の治世です。
また長屋王の木簡の中には”子供が飼っている犬が子犬を産んだので米を支給するように”といった内容のものも見つかっているので、長屋王の暮らしが犬に米を食べさせる位優雅であったと思われます。
が、一方で米を食べさせて太らせた犬を食べるためという犬食文化説もあります。
子供の飼っている犬だから愛玩用だろう、食べないだろうという意見が多いようですが、弥生時代に大陸から流れてきた渡来人と共にに犬食文化も持ちこまれており、奈良時代にもたびたび禁止令が出るほど一般的な食文化だったとも言われ研究者の間で意見が合致しません。
平城宮跡は水田でした。
都が捨てられてから水田に替えられ,その地下に長い間眠っていたのです。
木簡は土中に長年あったため空気に触れることなく生き延びました。
発掘に当たってはまだ買い取りの進んでいない水田の地主にお願いして収穫が終わった数カ月だけ掘り起こす許可をもらいました。
発掘作業をし、期限が来ると埋め戻して水田にしてお返しするという面倒な作業を何年も続けたそうです。
発掘されたばかりの木簡は真っ黒で何が書いてあるのか分りません。
また空気に触れた途端ぼろぼろと崩れるほど脆くなっていました。
修復はまず泥を洗い流すことから始まり、空気に触れない様に近赤外線カメラで文字を読みとり、そこからレプリカに転写しました。
現在、展示公開されている木簡はレプリカで本物は水に浸して保存されているそうです。
(水中保存法)
ただ長年水に浸けておく事は水中での相互接触による破損や防黴剤の種類や濃度の問題もあって安全とは言いきれないそうです。
なので最新の方法として”真空凍結保存法(フリーズドライ)”が使われ始めました。
これは文字がはっきり見えて後世に伝えるにはいい方法なのですが、コストがかかるので全ての木簡に使う事がまだ出来ないそうです。
それにまだまだ洗い出しの終わっていない木簡が沢山あるそうです。
これからまた新しい発見があるかも知れません。
青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
あをによし 奈良の都は咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり
ん~、ロマン。。。。
自由自由の平城京めぐりでした。