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自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。 自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。 ネコが好き、映画が好き、た~が好き。 遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。 そんな私のぐうたら日記
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平城京を訪ねて奈良に行きました。


平城京址から大量に発見された木簡を訪ねる旅です。

木簡の前にまずは平城京を知らねばと思い、平城宮跡を散策することにしました。


昔むかし学校で習ったきりで実際に訪れたことはありませんでした。
なにせつい最近までここは発掘調査をしてるだけの野原だったのです。
 
 
まずはは「第一次大極殿」からです。
ここは即位の儀式や元日の朝賀などが行われた場所です。
 
発掘調査の結果に基づいて平成22年に復元されました。なので建物も新しく耐震構造で中の展示物もすべてレプリカです。


 
 
う~ん、やっぱり壮大。

ここからは展示物。
屋根に飾られていたとされる鴟尾(しび)です。屋根から雨水の浸入を防ぐもので、建物の格式を表す物なんだそうです。


これは大棟中央飾りです。屋根の一番上(大棟)の中央に飾られたものです。



壁には四神の絵も描かれていました。

 
天皇の玉座である高御座(たかみくら)です。
傍で見るとでっかいです。謁見する時は前の布を下ろして顔は見せなかったんだろうな。




さて、いよいよ歩きます。
遙か前方に見えるのは朱雀門です。 遠い・・・・

途中まだ工事がされてて迂回するところもありましたが、陽を遮るものが何もないだだっ広いところをただ歩きました。
  
 
朱雀門が近くに見えてきました。
前に線路があって近鉄電車が走ってました。
 
 景観を損ないますが、地中にはまだまだ遺跡が眠っており線路の地下化が出来ないそうです。
でも古代と現代の出会いという事でこれはこれでいいんじゃないかと思います。

迂回して踏切を渡るとすぐ兵部省(ひょうぶしょう)の跡があります。
兵士や武器、軍事施設の管理や武官の人事を担当していた部署です。




ようやく到着です。
「朱雀門」です。ここが平城宮の正面玄関です。


朱雀門から大極殿を撮ってみました。


近くに遣唐使船を復元展示した「平城京歴史館」があったので入ってみました。
 
 
  

この船で沢山の僧や商人や外交使節が海を渡って行ったのです。
通常4隻の船団を組んでいましたがそのうち無事陸地に辿りついたのはたった1隻という事もあったそうです。
船が沈没しそうな時、荷を捨てようとする船員と唐から持ち帰った沢山の経典を捨てさせまいとする留学僧たち。この甲板で色々な葛藤があったのですな~。ちょっと感動です。


お土産に奈良時代のクッキー索餅
(さくべい)をもらいました。
硬い、硬い。 




朱雀門の警備のおじさんに薦められた「東院庭園」へ向かう事に。

 途中で見つけた「南面外門跡」の石碑。  南面外門って何や!
草が生い茂っていて見落としてしまいそうでした。

 
 
 
 原っぱにポツンと立ってた「平城宮阯保存記念碑」
なんか寂しそうでした。
 




到着です。
「東院庭園」です。「続日本記」に記述がある奈良時代に造られた庭園です。
草花や木々が発掘調査に基づいて復元されています。


ここは宴が催された場所です。
「曲水」という石組みの流路や洲浜や出島があり、今の日本庭園の原型だそうです。

洲浜の中に佇む主殿です。


 

優雅です。


中央に映っているのは隅楼(すみろう)です。  美しい。



てっぺんに鳳凰が。


築山(観賞用の人口の山)のル―ツ、「須弥山石組み」です


これが曲水です。
 
 
ガイドの人に説明してもらったおかげで、知識のない私でも興味深く見れました。

  
東院庭園が発掘された為、当時計画されていた国道24号線工事は直線コースから大きくカーブせざるを得なくなりました。かなりのカーブです。


庭園を出て駐車場を通り抜けるとこんなものが。ステージみたい。

 
「小子部門(ちいさこべもん)跡」です。
この門が発掘されたことで平城宮が東に張り出していた事が分り、それによって東院庭園も発見されたそうです。
工事現場のコーンが置いてあるのでとても世界遺産には見えませんでした。
 
 
emojiまた原っぱをテクテク。
  
 「造酒司跡(みきのつかさあと)」です。
天武天皇の大嘗祭のお酒を造ったところです。
作業員の人たちも暑いせいか日陰でお昼寝してました。 ん~、シエスタ。。

 

ホントに暑かった!

 
 
「遺構展示館」に到着。
まず入口にど~んとあるのが
縮小復元模型です。
 
内裏正殿

この模型におかれた人形はなんと”奈良の一刀彫り”だそうです。
細部にまでこだわってます。
 
 
 
 これがメインの遺構露出展示です。
柱の穴が重なっているところから奈良時代の間に建物が何回も建て替えられた事がわかります。



これは「内裏の井戸」  天皇の為の井戸です。
直径1.7mの杉の木をくりぬいたものです。中が見えるように上に鏡を取り付けてあります。


これはお風呂ではありません。塼積官衙跡から出土した井戸枠です。
 

出土した木簡です。もちろんレプリカ。

木簡とは文字を書くための短冊状の木の板の事です。
奈良時代には紙と木簡はほぼ同じ割合で使われていたそうです。
ただ紙と違って木簡は用を終えると削って繰り返し利用が出来たので、荷札や指示書みたいなのは木簡が使われたみたいです。
(この話はまた次回に。。。)


「礎石」 池に捨てられてあったのをを拾いだしたそうです。
私はなぜかこの石に惹きつけられました。
水田を造るのに邪魔だからと捨てられて、(平城宮はかつて水田でした)数百年か1000年かを池の中でじっとしてたんだと思うと感慨深いです。

  

出口近くに塼積官衙の柱穴再現跡がありました。赤い円柱が実際に柱が立っていた場所です。




すぐ側に「宮内省」の復元建物がありました。
エリート役人たちがここで日々沢山の業務に追われていたんだなあ。


内裏の井戸の復元です。
 



さて次は「平城宮跡資料館」に向かいます、
ここをまっすぐ行ったところにあります。とほほ 道程は遠い。。。。

 

これも昔の柱穴跡を植木で示しています。






到着です。

   
 

まず入口には平城宮発掘の模様と復元作業の縮小模型が展示されていました。
 中には奈良時代当時の家具や調度品、色々な出土品が復元されています。


これは当時の役人が使った机と椅子。
土間の上に机を置いていました。このころ畳はまだなかったんですね。


役人の三種の神器。硯に筆に木簡を削る刀子(とうす:小刀)。

 なので奈良時代の役人は「刀筆の吏(とうひつのり)」と呼ばれたそうです。

想像したらせわしないなあ。硯で墨すって木簡に字を書いて、使い終わった木簡を削ってまたその上から文字を書く。きっと机の上は削りカスで一杯だったろうと思われます。
今ならパソコン一台で済みます。

  
 
これは隼人(はやと)の盾と矢です。
隼人は南九州に住む人たちで当初は大和朝廷に反抗していましたが後に政権に組み込まれました。当時は宮門の警備に当たっていたそうです。
これは武器というより儀礼的なものです。


儀式の際はこの盾と弓を持って門前に整列し独特の発声法で邪気を払ったとされています。どんな声なんやろう?想像するだけでワクワクします。
 
 
当時の貴族の食事を再現したもの。

 
 
 
これは今でいうリビングかな?碁板のようなものと琴のような楽器が置かれています。


書斎かな?


ベッドです。



お~!これが長屋王の木簡です。
(もちろんレプリカです)

   

 

土馬と形代(かたしろ)です。
土馬は主に雨乞いの儀式に、形代は呪術に使われました。



これは奈良時代に一番有名だった瓦職人が作った瓦です。

誰がどれだけ作ったか分るように出来上がった瓦には職人の名前が記されました。
その中でもとりわけこの人の名前がはいった瓦が多く出土されています。
真依(まより)という人です。当時の人気職人だったみたいです。





東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)の模型です。
朝集殿とは朝参の際などに集まった朝廷の臣下が開門の時刻まで待機した場所です。
ここで臣下たちは身づくろいなどしたりして朝堂の南門が開くのを待ったそうです。

 
 

 
 
 

ふ~。17時までになんとか全部回れました。

  
  

とにかく暑かった一日でした。やたら工事してたという印象です。あっちもこっちもです。
おかげで何度も迂回したので腕がおっさんみたいに日焼けしてしまいました。emoji


今回周った平城宮のMAPです。
ここをグルグル回ってたんだ。。。。


私が歩いたのは平城京の中の一部平城宮跡です。
朱雀門からず~っと朱雀大路が通っていてその先に羅生門があったのですが、今はなんと道路の高架下になっています。
 
 

  
  
つづく。。。。。



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