自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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いよいよ今回のメインイベント隠岐の島へ渡ります。
朝7:35 松江からバスで七類港(しちるいこう)まで向かいます。
40分ほどで七類港到着。そこからはフェリーです。
「くにが」に乗って海士町(あまちょう)へ渡ります。
ひとつの島が町なのです。
過疎化で人口が2000人程しかいないこの町が、ここ数年で急激に発展し都会からの移住者も増えた事で注目を浴びるようになりました。
その島の巡検が今回の旅の目的です。
9:30 七類港出航 海士町の菱浦港へ
本土が遠くに見えます。
途中 知夫村(ちぶむら)の来居港(くりいこう)や西ノ島町の別府港(べっぷこう)に立ち寄ります。
海士町が見えて来ました。
12:40 菱浦港到着
昼食を済ませてバスで隠岐総合開発センターへ
会場で目に着いたのが海士町のポスター
「ないものはない」
14時から講演が始まりました。
今回のテ―マです。
1:離島再生の取り組み概要 ~産業振興~
2:海士町再生の理念と哲学
3:島前高校魅力化プロジェクト ~離島における教育の特色~
4:海士町の郷土芸能 ~講義と実演~
海士町の平成22年の世帯数は1052
高校卒業後は殆ど島外へ流出してしまい20~30代の人口が低く、生まれてくる子供も10人以下。
国の経済政策である離島振興法など活用し公共事業への投資で住民の生活は整備されたが、半面債権は膨らみ人口2000人なのに借金101億円という結果になってしまった。
町長選挙では島民が地縁、血縁が真っ二つに割れるほどの選択をし、
平成の大合併のさなか、島の生き残りをかけた覚悟の単独町制を決断。
そんな島の再生プロジェクトが主題でした。
「よそ者 若者 馬鹿者」を積極的に受け入れ外部からのアイデアで新しい事業を興したり、子育て世代の移住を島ぐるみでサポートしたりと今注目の島なのです。
地方自治体、各企業や大学からも注目されてる島セミナーなので抽選で50名程が参加しました。
最後の質疑応答の時間にはあまりの多さで時間切れになりました。否定的な意見も多かったです。
いっぱい講演を聞いた中で一番興味深かったのは”島前高校魅力化プロジェクト” です。
海士町教育委員会の岩本悠氏は一橋大学の学生だった頃、出前授業がきっかけで海士町に移住し、このプロジェクトを立ち上げました。
http://miryokuka.dozen.ed.jp/
島外からの生徒が増え新たに寮を建設するほどになりました。
今や国公立大学に3割が合格しています。
島は活性化してきましたが、疑問点は多々あります。
せっかく移住者は増えたのに出ていく人も多く人口は横ばいであること。
子供の人口も増えたが果たして将来島にUターンしてくるか?など。
やっと夕食です。
見よ、この豪華な食事。どこからどこまでが自分のか分りません。
地元名産の牡蠣を二つも食べました。
食事もまだ終わってないのに、郷土芸能「キンニャモニャ踊り」の実演が始まりました。
この踊りを覚えて帰らないといけないそうです。
しゃもじを使って踊るのです。無事踊れたので修了証のスタンプを押してもらいました。
あ~、疲れた。21時終了、明日もあるので早々と大浴場へ向かい寝ました。10畳の和室に2人の相部屋です。
かながわ災害救援ボランティア・サポート・チームの女性と同室でした。
なんでもお嬢さんが島前高校に留学中だそうです。
色んな人が来てるな~。
そういえば質疑応答の時には看護士や教育関係の人もいたな。









朝です。晴天です。
昨日はバタバタしてゆっくり見れなかった菱浦港です。
海が透明できれいです。魚が泳いでる。
今日は島内巡検です。
まず訪れたのが後鳥羽上皇の史蹟です。
歴史の授業で昔に習った後鳥羽上皇の火葬塚です。
承久の乱で幕府に敗れた後、隠岐に流され都へ戻ることなくこの地で生涯を終えます。
火葬されたのち、遺骨の一部は京都に帰りました。
後鳥羽上皇御在所阯です。
隠岐神社です。
出雲大社と同格の神社です。
海士町の神社は格が高く、それも島の北側にあるのです。
何故かと言うと、鬼門である北。その先には新羅があったからです。
広いスペースは蹴鞠(けまり)どころです。
隠岐には主に政争に敗れた貴人が流されてきました。
そのため京の文化が島にも根付き和歌も盛んになったそうです。
後鳥羽上皇は自ら刀を打つほど刀剣好きで島の鍛冶屋に好みの刀を打たせ優れた物には菊紋を入れることを許しました。
これが現在の天皇家の菊の御紋の始まりだそうです。
そうそう隠岐の牛突きは有名です。
放牧してあった農耕牛が角を突き合わせてじゃれているのを見た上皇が京都にある「鳥獣戯画」を思い出してふと微笑まれたそうです。
それを見た島民が上皇をお慰めしようと牛突きを開催したのが始まりだそうです。
隠岐神社の狛犬には子供がいました。これは珍しい。(アップでご覧下さい)
バス停もしゃもじ
バスから見えた宇受賀命(うずかのみこと)神社です。今回は見れませんでした。
岩牡蠣の養殖場です。
ここも都会からの Iターン夫婦が営んでいます。
製塩所です。海士御塩司所(あまおんしおつかさどころ)です。
この他、隠岐牛の牧場もあります。今や立派なブランド商品です。東京の市場では高値で取引されています。
昼食でおき自然村へ向かいます。途中で見えた景色。
隠岐は世界ジオパークにも認定されています。
昼食は島特産の「さざえカレー」でした。
これも今やブランド化してるそうです。
島を巡って思ったのは若い人が多いと言う事です。
20~30代の若い島民が島の中核を担ってると言う感じでした。
町の職員も売店の店員もレストランの厨房も若者ばかりでおばちゃんが見当たらないのです。
当然おじいちゃん、おばあちゃんも。
老人はどこかへ隠されたのか?と心配になるほどでした。
明屋海岸です。
とにかく海がきれいです。
屏風岩の真ん中に穴があいているのでハート岩とも呼ばれてるそうです。先の方に歩いて角度を変えるとハート型に見えるそうです。
そして海士町ともお別れの時です。
フェリーの最終便の関係でみんなバタバタしてました。お土産買う時間もありません。
最後はなんと紙テープでお別れです。
今はもう禁止されてると思ってたのに離島ではあるんだ。
わ~!初体験!
お見送りもしゃもじで
テープが切れてもずっと船に手を振ってくれてました。
島を訪れるのは私たちだけじゃないだろうに。また来てほしいという思いが強いからなんでしょう。
日本海の夕日です。
しばしご堪能下さい。
松江に戻ってきたら20時でした。
今夜の宿はしんじ湖温泉「ホテル一畑」です。松江最後の夜はちょっといいホテルです。
1泊2食です。
夕食のメニュー
かに!!
コラーゲンたっぷりの鶏鍋です。
出雲そばもついてました。
蟹グラタン
デザート
遅くに着いたのでレストランは空いてました。営業時間を過ぎてもゆっくり料理を運んで来てくれました。サービスは一流です。
でも展望大浴場はめちゃ混みでした。

朝です。
きれいな庭を見ながら朝食です。た~が見たら怒られそう。
いいもの食べすぎて太ったみたい。。。。
た~が寂しがってるので帰りは大阪に寄ります。


つづく。。。
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