自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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ひきつづき太宰府です。
さて、いよいよ今回のメイン・イベント
九州国立博物館での歴史資料の講演です。
この講座も毎年人気です。去年は抽選ではずれましたが、今年は無事定員のなかに入れました。
太宰府天満宮の太鼓橋の横を通り抜けると博物館へ通じる長~いエスカレ―ターがあります。そこをあがると博物館です。
あ~、憧れの九州国立博物館!!やっと来た~~~~!
平成17年度設立の新しい国立博物館です。
なぜ私がこんなに騒いでるのかというと、この博物館は今までになかったほど建築資材や空調や免震設備にこだわっているのです。
博物館や美術館の一番の天敵は湿気なのです。次に空気中の微生物、建築資材から出る有毒ガスなどです。
この博物館はコンクリートも現地で流しこむのではなく、あらかじめ工場で成形した板状のプレキャスト・コンクリート(PC板)を使用する方法が採られました。
文化財の保護は気密性が高すぎてもダメなのです。
収蔵庫には一部木材を使う事が多いのですが、これも候補が多数あった中から有機酸放酸量の実験などを重ねた結果、北海道のぶな材が採用されました。収蔵物は何年か毎に燻蒸しないといけないのですが昔はガス燻蒸が一般的でした。でも地球環境問題や人体の保護の観点から「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」により平成17年をもって完全撤廃が決定したのです。
そんな中で熊本市美術館で開催されるはずだった「小泉八雲生誕160年記念・来日120年記念展」の為に高知県香南市から借り受けていた文化財の屏風の燻蒸事故がおこりました。
運送業者が委託した業者の施設で梱包を解かないまま長時間燻蒸してしまったのです。その結果、屏風の絵が破損してしまいました。
美術館、博物館業界ではすごく有名な事故だそうです。
国際的にも日本の管理体制への不信感が生じるかもしれない程です。
予算などの関係でのんびり構えていた日本はこれをきっかけに大急ぎでIPM 総合的病害虫管理 を導入しました。
この九州国立博物館は後付けではなく設計段階からIPM対策を施した館なのです。
ついつい熱く語ってしまいましたが、さてここから館内案内です。
自然の景色が写りこんでる壁。これも景観を考えての設計だそうです。
解放感のある天井
1Fロビーには博多祇園山笠が飾られていました。
オブジェのように見えますが、この柱が地震から収蔵物と展示室を守っているのです。
収蔵庫は2階の真ん中よりに配置されていて下は免震層になっています。
大地震が来るとこの柱の下の床がすっぽり抜け落ちて建物の揺れに引きずられないようになっています。
収蔵庫の下はこんな感じです。
ちょうど特別展で「故宮博物院」展をやってました。
今回の講演の内容です。
1. 彫刻 ~仏像 銅製経筒
2. 墨蹟 ~無夢一清の足跡と伝製品の姿~
3. 歴史資料 文化財保護法上の歴史資料・九州国立博物館の具体的な収集例
4. 東アジアの仏教信仰と金属工芸/金工・刀剣
5. 漆工
6. 考古 発掘調査の手順
7. 仏教絵画
昔の学芸員は研究ばかりに専念して人と接するのが苦手なイメージでしたが、今はそれじゃ生き残れないのです。
なにかと削減の対象になる博物館なので一般の人に興味を持ってもらわないといけないのです。
なので今回講演して下さった学芸員の方たちはみんな喋りの上手いこと。
特に金属工芸担当の望月規史氏は関西の博物館出身なので話が面白かったです。
そういうわけで講演の後は自由観賞です。
常設の文化交流展示室です。
私の大好きな縄文時代の火焔土器が地震で被災し、東北からここ九州に修復も兼ねて避難してきてました。
もう見どころいっぱいで時間が足りません。
一番目を引いたのが色つきの阿修羅像。もちろんレプリカですがこんな極彩色だったなんて。
こんなのもありました。
江戸時代に作られた長崎の螺鈿の「青貝細工フリーメイソン箱」です。
会員から注文を受け欧米向きの輸出品だったそうです。ちょっとミステリアス。
私の一番はこれです。「木造観音菩薩立像」
9世紀 平安時代に彫られた等身大の仏像です。
本来は十一面観音像だったそうです。
なにが感動したかというと重要文化財の仏像を露出展示していることです。普通こういうのはガラスケースにしっかり収まってて観覧者は遠巻きに見てるだけだったのに、ここでは照明を暗くして特殊なスポットライトで像を幻想的に浮かび上がらせていました。
これだけ連日の観覧者の呼気に晒されて大丈夫なんでしょうか?と思わず隅にいたスタッフに訊いてしまったほどです。空調設備も進歩してるらしいです。もちろん出しっぱなしにはしません。展示はローテーションです。







さて、閉館時間までたっぷり堪能したらお腹が空いてきました。(何せお昼も抜いて展示を見てましたから)
太宰府天満宮の参道沿いのレトロな感じのきっちゃ店に入りました。
スタッフの女の子が大正ロマン風の制服でした。
袴とか、昔のカフェのメイド風とか。
博多まで戻ってホテルへ帰ります。
本当は博物館から近い太宰府のホテルに宿泊したかったのですが、予約をしたのが9月末だったのでどこも満室で取れなかったのです。
自由自由の駅弁コーナー!
晩ごはんはた~お薦めの博多名物の鶏で「かしわ飯」です。
閉店間際に駆け込みました。
セ~フ。
うま~い!






翌日は曇り空で弱い雨もふってました。いよいよ帰る日ですが、最後にどうしても見ておきたい場所があります。
太宰府政庁跡です。
言うまでもありませんが古代大和朝廷によって設置された地方統治機関です。
平安時代末期までここに建物があったのです。
柱の跡です。
こんな建物だったのです。(九州国立博物館 模型)
海外との玄関口であった太宰府はそれまでもたびたび外国の海賊からの侵入にあい、そのたびに撃退していましたが、刀伊の入寇で急速に廃れていきました。
いつ捨てられたのかは定かではありませんが水田だったところを宅地造成で掘り起こした時に発見されたのです。
思わず、さだまさしの「防人の詩」を口ずさんでいました。
菅原道真は太宰府に赴任してきましたが、一度もここに登庁しなかったそうです。
よっぽど失意のどん底だったんでしょうか。
ほんとうに見捨てられたみたいでした。
観光客は私ともう一人。あとは犬の散歩の人だけです。
町を見下ろす石碑はなんか寂しそうでした。
ポツンと立ってる木
バス停までの途中にあった大伴旅人(おおとものたびと)の歌の石碑
「やすみしし、我が大君(おほきみ)の、食(を)す国は、大和もここも、同じとぞ思ふ」
(奈良の都が恋しくありませんか?)といった意味の石川足人の歌への返歌です。
(大和もここも同じだよ)と詠んでますが、帰りたい思いがあふれてる歌です。
博多駅に戻ります。
途中で相撲の11月場所が開催されていました。
なんとそこからお相撲さんが大挙してバスに乗り込んできました。
乗り込むたびにバスが大きく傾くのです。ウソみた~い!!
写真は撮れませんでしたがよく見ると皆腰に博多帯をしめていました。それぞれ色とりどり個性的な柄でした。
高そうやなーと思わずガン見してしまいました。
そして旅の最後は博多湾です。
博多ふ頭です。壱岐、対馬、五島へのターミナルです。
海岸線の位置はもちろん昔と違いますが、ここへ元が攻め込んできたんだな~と感慨深くなりました。
そういえば防人は主に東北出身の農民でした。やっと任務を終えて帰郷する時は付き添いもなく途中で力つき帰れなかった者が多かったそうです。どんな思いでこの海を見ていたんだろう。
国際ターミナルの方に停泊してる大型客船。

ちょっと切ない古代へのロマンの旅でした。


燃える秋
photo by 自由自由(仏像、フリーメイソン箱以外)
秋の太宰府
さて、いよいよ今回のメイン・イベント
九州国立博物館での歴史資料の講演です。
この講座も毎年人気です。去年は抽選ではずれましたが、今年は無事定員のなかに入れました。
太宰府天満宮の太鼓橋の横を通り抜けると博物館へ通じる長~いエスカレ―ターがあります。そこをあがると博物館です。
あ~、憧れの九州国立博物館!!やっと来た~~~~!
平成17年度設立の新しい国立博物館です。
なぜ私がこんなに騒いでるのかというと、この博物館は今までになかったほど建築資材や空調や免震設備にこだわっているのです。
博物館や美術館の一番の天敵は湿気なのです。次に空気中の微生物、建築資材から出る有毒ガスなどです。
この博物館はコンクリートも現地で流しこむのではなく、あらかじめ工場で成形した板状のプレキャスト・コンクリート(PC板)を使用する方法が採られました。
文化財の保護は気密性が高すぎてもダメなのです。
収蔵庫には一部木材を使う事が多いのですが、これも候補が多数あった中から有機酸放酸量の実験などを重ねた結果、北海道のぶな材が採用されました。収蔵物は何年か毎に燻蒸しないといけないのですが昔はガス燻蒸が一般的でした。でも地球環境問題や人体の保護の観点から「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」により平成17年をもって完全撤廃が決定したのです。
そんな中で熊本市美術館で開催されるはずだった「小泉八雲生誕160年記念・来日120年記念展」の為に高知県香南市から借り受けていた文化財の屏風の燻蒸事故がおこりました。
運送業者が委託した業者の施設で梱包を解かないまま長時間燻蒸してしまったのです。その結果、屏風の絵が破損してしまいました。
美術館、博物館業界ではすごく有名な事故だそうです。
国際的にも日本の管理体制への不信感が生じるかもしれない程です。
予算などの関係でのんびり構えていた日本はこれをきっかけに大急ぎでIPM 総合的病害虫管理 を導入しました。
この九州国立博物館は後付けではなく設計段階からIPM対策を施した館なのです。
ついつい熱く語ってしまいましたが、さてここから館内案内です。
自然の景色が写りこんでる壁。これも景観を考えての設計だそうです。
解放感のある天井
1Fロビーには博多祇園山笠が飾られていました。
オブジェのように見えますが、この柱が地震から収蔵物と展示室を守っているのです。
収蔵庫は2階の真ん中よりに配置されていて下は免震層になっています。
大地震が来るとこの柱の下の床がすっぽり抜け落ちて建物の揺れに引きずられないようになっています。
収蔵庫の下はこんな感じです。
ちょうど特別展で「故宮博物院」展をやってました。
今回の講演の内容です。
1. 彫刻 ~仏像 銅製経筒
2. 墨蹟 ~無夢一清の足跡と伝製品の姿~
3. 歴史資料 文化財保護法上の歴史資料・九州国立博物館の具体的な収集例
4. 東アジアの仏教信仰と金属工芸/金工・刀剣
5. 漆工
6. 考古 発掘調査の手順
7. 仏教絵画
昔の学芸員は研究ばかりに専念して人と接するのが苦手なイメージでしたが、今はそれじゃ生き残れないのです。
なにかと削減の対象になる博物館なので一般の人に興味を持ってもらわないといけないのです。
なので今回講演して下さった学芸員の方たちはみんな喋りの上手いこと。
特に金属工芸担当の望月規史氏は関西の博物館出身なので話が面白かったです。
そういうわけで講演の後は自由観賞です。
常設の文化交流展示室です。
私の大好きな縄文時代の火焔土器が地震で被災し、東北からここ九州に修復も兼ねて避難してきてました。
もう見どころいっぱいで時間が足りません。
一番目を引いたのが色つきの阿修羅像。もちろんレプリカですがこんな極彩色だったなんて。
こんなのもありました。
江戸時代に作られた長崎の螺鈿の「青貝細工フリーメイソン箱」です。
会員から注文を受け欧米向きの輸出品だったそうです。ちょっとミステリアス。
私の一番はこれです。「木造観音菩薩立像」
9世紀 平安時代に彫られた等身大の仏像です。
本来は十一面観音像だったそうです。
なにが感動したかというと重要文化財の仏像を露出展示していることです。普通こういうのはガラスケースにしっかり収まってて観覧者は遠巻きに見てるだけだったのに、ここでは照明を暗くして特殊なスポットライトで像を幻想的に浮かび上がらせていました。
これだけ連日の観覧者の呼気に晒されて大丈夫なんでしょうか?と思わず隅にいたスタッフに訊いてしまったほどです。空調設備も進歩してるらしいです。もちろん出しっぱなしにはしません。展示はローテーションです。









さて、閉館時間までたっぷり堪能したらお腹が空いてきました。(何せお昼も抜いて展示を見てましたから)
太宰府天満宮の参道沿いのレトロな感じのきっちゃ店に入りました。
スタッフの女の子が大正ロマン風の制服でした。
袴とか、昔のカフェのメイド風とか。
博多まで戻ってホテルへ帰ります。
本当は博物館から近い太宰府のホテルに宿泊したかったのですが、予約をしたのが9月末だったのでどこも満室で取れなかったのです。
自由自由の駅弁コーナー!
晩ごはんはた~お薦めの博多名物の鶏で「かしわ飯」です。
閉店間際に駆け込みました。



うま~い!










翌日は曇り空で弱い雨もふってました。いよいよ帰る日ですが、最後にどうしても見ておきたい場所があります。
太宰府政庁跡です。
言うまでもありませんが古代大和朝廷によって設置された地方統治機関です。
平安時代末期までここに建物があったのです。
柱の跡です。
こんな建物だったのです。(九州国立博物館 模型)
海外との玄関口であった太宰府はそれまでもたびたび外国の海賊からの侵入にあい、そのたびに撃退していましたが、刀伊の入寇で急速に廃れていきました。
いつ捨てられたのかは定かではありませんが水田だったところを宅地造成で掘り起こした時に発見されたのです。
思わず、さだまさしの「防人の詩」を口ずさんでいました。
菅原道真は太宰府に赴任してきましたが、一度もここに登庁しなかったそうです。
よっぽど失意のどん底だったんでしょうか。
ほんとうに見捨てられたみたいでした。
観光客は私ともう一人。あとは犬の散歩の人だけです。
町を見下ろす石碑はなんか寂しそうでした。
ポツンと立ってる木
バス停までの途中にあった大伴旅人(おおとものたびと)の歌の石碑
「やすみしし、我が大君(おほきみ)の、食(を)す国は、大和もここも、同じとぞ思ふ」
(奈良の都が恋しくありませんか?)といった意味の石川足人の歌への返歌です。
(大和もここも同じだよ)と詠んでますが、帰りたい思いがあふれてる歌です。
博多駅に戻ります。
途中で相撲の11月場所が開催されていました。
なんとそこからお相撲さんが大挙してバスに乗り込んできました。
乗り込むたびにバスが大きく傾くのです。ウソみた~い!!
写真は撮れませんでしたがよく見ると皆腰に博多帯をしめていました。それぞれ色とりどり個性的な柄でした。
高そうやなーと思わずガン見してしまいました。
そして旅の最後は博多湾です。
博多ふ頭です。壱岐、対馬、五島へのターミナルです。
海岸線の位置はもちろん昔と違いますが、ここへ元が攻め込んできたんだな~と感慨深くなりました。
そういえば防人は主に東北出身の農民でした。やっと任務を終えて帰郷する時は付き添いもなく途中で力つき帰れなかった者が多かったそうです。どんな思いでこの海を見ていたんだろう。
国際ターミナルの方に停泊してる大型客船。
ちょっと切ない古代へのロマンの旅でした。



燃える秋
photo by 自由自由(仏像、フリーメイソン箱以外)

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