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住吉大社の「御田植神事」を見てきました。
住吉大社の「御田植神事」(おたうえしんじ)とは国の重要無形民俗文化財です。
毎年6/14に催されます。
今回は限られた人しか入れない神殿の儀式も観れることになりました。
招待状
と言う訳でやってきました。
長年大阪に住んでいたのに住吉大社に来るのは初めてです。
鳥居からすぐのお太鼓橋。
神館で受付をすませます。
中には既にお化粧と着替えを済ませたお稚児さんやら関係者の人たちがいました。
この人たちは植女(うえめ)といって稲を植える女性です。
今からおねり(社参)のために行列を整えます。
後ろの女性は御稔女(みとしめ)と言って舞いを奉納します。
住吉大社の御田植神事は伝承によれば、神功皇后が住吉大神の御供田として神田を定め、長門国(山口県)から農業技術者として植女(うえめ)を呼び寄せたことに始まるといいます。
その植女が堺の乳守(ちもり)に定住、その末裔は遊女になったという伝説があり、堺の遊女が植女を奉仕する習わしがあったそうです。
社参(しゃさん)”おねり”です。
一の鳥居から植女、御稔女(みとしめ)、稚児の一行が着きました。
鎌倉時代の記録には猿楽や田楽など様々な芸能も加わり、相当な規模だと書かれています。
永く受け継がれて来た神事ですが、明治維新の上知令で神田を含む土地が没収され御田植神事も出来なくなりました。
そんな時に立ちあがったのが大阪新町廓の旦那衆です。
船場の商人である彼らは資金を出し合って没収された神田を買い戻し、再び住吉大社へ奉納したのです。植女の議も復興され、この時以来新町廓の芸妓が植女を務めるようになりました。
大阪のお座敷文化と神社の神事が結びついた大興行になったわけです。
「おねり」とはそんな人気NO.1の芸妓たちを庶民が見れる唯一の機会でもあったので明治、大正時代には今のAKBどころの騒ぎではないと住吉大社の神職さんが話してくれました。
神館に整列 向こう側の椅子に座ってるのは上方文化芸能運営委員会のお偉いさんたち。
髪飾りがきれい。
巫女さんがお厳かに登場。
これから粉黛(ふんたい)の議です。
植女一人一人にお化粧をします。
白粉(おしろい)、黛(まゆずみ)、口紅をほどこす所作をします。
戴盃(たいはい)の儀です。
まず響膳(きょうぜん)が配られます。扇子に昆布やイカなどの縁起物です。
そしてお神酒を一献。
この女性が御稔女(みとしめ)です。芸妓の中でも特に踊りなどの芸に優れ容姿も美しい人が選ばれるのだそうです。
この後、宣状(せんじょう)の儀があってそれぞれが神事への奉仕を任命されます。
そして最後は肩競(けんぎょう)の儀です。
植女全員が横に並び神職が植女の肩に笏を水平に揚げて背丈を測る所作をします。整列の順を正す儀式ですがお祓いの意味もあります。
ここまでは一般の人が見れない儀式の写真です。
神館での儀式が終わりお昼です。
御田植が始まるのは午後1:30からです。長ーい!
吉祥殿という結婚式場の広間でお弁当です。
た~のお手製。ちらし寿司。タマゴとふわふわの削りかまぼこです。愛媛県の名産です。
た~が前の晩に作ってくれました。オイシイデザートはペコちゃんのポップキャンディ
本番前のショット。
武者姿のイケメン君。手にはスマホ。
武者行列は神事の警護に当たったのが武士だったのでその名残りです。
髙下駄で先頭を行くのは総大将。
あれ、さっきのイケメン君かな?彼女が見に来てくれて嬉しそう。
斎牛(さいぎゅう)です。但馬牛の雌三歳です。
この日の為に大事に育てられ水に入る訓練を積んできたそうです。タイヤをひいて特訓したそうです。長く繋がれてるのでモ~っとずっと怒ってました。
供奴(ともやっこ)が神館へ向かいます。
奴さんは露払いで貴人や神霊など高貴な者を先導します。昔の大名行列の「下に~下に~」の声も奴さんなのだそうです。(知らなんだ)
高貴な物をより際立たせ行列の格式や威儀を高める意味があるそうです。
江戸時代の運送業者で人材派遣業でもあります。各藩の財政を圧迫していた参勤交代に際して人を集め立派な大名行列に仕立てるのも彼らの仕事だったそうです。籠を担ぐので独特の歩き方 ナンバ歩きも彼らが編みだしたのです。駕籠にお姫様が乗っても居眠り出来るくらい揺れないのです。
明治時代以降は彼らは主に葬祭業に転身したそうです。昔は柩を人が担いで運んだためと葬送行列が長いほど生前の故人の偉大さをアピールするからです。なんと霊柩者を発案したのも彼らだそうです.
植女もお着替えが済んでます。新町花街の提灯が先頭です。
まだ神事が残っているのですが、一足先に御田式場へ向かいます。
結構いい場所です。しかも最前列です。
斎牛の代掻き(だいかき)が始まります。
あらかじめ7割がた苗が植えられています。一区画だけ何もないところがあってそこを斎牛が耕します。ちょっとおびえていましたがおそるおそるチャポンと入りました。
斎牛が耕してる間、行列は御田の畔を一周練り歩きます。呪術的な意味があるそうです。
先頭は供奴
護衛の風流武者行列
甲冑武者は中高校生で雑兵は小学生です。
楽士
八乙女
お稚児さんも8人。付き添いのお母さんの訪問着の方が気になる自由自由でした。(高そう)
御稔女は笠でお顔が見えません。
目にも鮮やかな萌黄色の装束の植女 帽子には綿の花を模した飾りが付けられています。
田植作業には雷が落ちる恐れもありました。植女たちは国を出る際、長門の国司から綿の花を受け取りました。それを雷よけ魔よけのお守りにしたそうです。そういえば武者もお稚児さんも綿の花をつけてました。
替植女(かえうえめ)
いつの頃からか実際に植えるのは農家の婦人になったそうです。今はJAの職員だそうです。
最後は住吉踊りの女の子たち。こんな小さな子も踊ります。
そして神職が御田の四方を祓います。
御神水を田に注いだ後、植女から替植女に早苗の授受が行われます。
替植女も準備OK
八乙女による田舞(たまい)が舞われてる間、田植えが始まります。
任務を終えた斎牛が拍手で送られます。介助をした人も誇らしげです。
御稔女による神田代舞(みとしろまい)が始まります。
稲の品種は「ひのひかり」
最初は雅楽の演奏で静かに舞うのですが、途中早着替えをして竜神の冠をいただきます。
三味の音で激しさを秘めた舞に変わります。
これはなかなか見応えがありました。
次は風流武者行事です。
総大将が薙刀、軍扇を用いて風流の所作をします。
次に「わ~!」という声とともに紅白の甲冑の武者が畔を走り抜けます。
わ~わ~わ~!!
中央舞台でホラ貝がなります。
棒打合戦の始まりです。紅白は源平合戦が由来だそうです。
赤が平氏、白が源氏。でも甲冑の紋は両方とも毛利家の紋だそうです。(た~が気付きました)
植女が長門の国から来たのでその関係なのかなと勝手に想像してしまいました。
そして替植女による田植踊(たうえおどり)に最後は地元の少女たちの「住吉踊り」でフィナーレです。
住吉踊りは住吉大社の神宮寺の僧侶が(昔は神社と寺が一緒だった)勧進の為に諸国を周りストリート・パフォーマンスとして踊ったのが人気を博したそうです。
お土産ももらえました。
お神酒に雷よけの綿の花に「松風」というお菓子です。
参加者は総勢400人を超える神事でした。
ひとつひとつ、時代は違っても住吉大社という場所で繋がってる。神様や遊女や商人や芸妓や奴婢や武士や僧侶もみんなごちゃ混ぜになってるのが大阪らしいな。
いいもの見た~って感じで大満足の自由自由でした。
歴史って面白いなぁ。