自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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米沢きもの展に行ってきました。
着付け教室主催の展示会です。
場所は渋谷のオフィスビル
展示会は2~3ヶ月に1回くらいの割合でありまして、今回は山形県米沢の工房の着物が中心です。
米沢と言えば大河ドラマで有名ですが、米沢紬、紅花染めの産地でもあるのです。
紬にはあまり興味がなかったのですが、紅花染めと聞いて俄然興味がわいてきたのです。
主だったのが下のチラシの3工房です。
私たちが着いた時にはすでに各工房の紹介と説明が始まってました。
紅花染めの「新田織物」の五代目はなかなかのイケメンでありまして、紅花染めの工程等を説明してくれました。
アップ
新田家は自分の染め場を持っている数少ない工房です。種まきから染めの作業、着物になるまでを一貫して行えるので最初の糸からイメージした姿に近づけるんだそうです。
江戸時代は武士の家系だったそうですから、世が世ならお殿様だったんでしょうか。
紅花栽培は土にとっても非常に過酷で一度作ると、その土壌は休ませないといけないんだそうです。1~2年休ませてその後野菜を植えたりして土の回復を待つんだそうです。
へ~、知らなんだ。

左: 米沢織の五百機織(いおはたおり)です。
縦に約4000本もの細い糸を使って織り込んであります。
とても細かい繊細な織で、パッと見た感じでは無地に見えるのですがよく見ると江戸小紋のような細かい模様がビッシリ入っています。ルーペで見せてくれました。一見地味な着物に見えますが手が込んでいるので値段はビックリするくらい高いです!
後で調べたら説明してくれた方は社長でした。
右:紅泥染(べにどろぞめ)の筬園工房(おさえんこうぼう)です。
紅泥染めとは紅花の黄汁と赤土で下染めした独特な色合いの生地のことです。
芸能人にも顧客が多く、沢口靖子が着たという着物がどば~っと中央に展示してありました。
着る人の身長や体型によって染めの出し方や位置も計算されてるそうです。









米沢織物は、江戸時代の初め、上杉家家老の直江兼続が織物産業として勃興させました。
以前からカラムシや紅花の栽培は盛んだったので、これらの特産品を藩の買い上げ制にして様々な織物産地に売ったそうです。
そして江戸時代後期、米沢藩九代目藩主、上杉鷹山が逼迫した藩財政を立て直すために越後から縮み師を招いたり京都から織物師を呼んだりして、藩士の婦人などを職工として機を織らせ自給自足の織物産地を目指して米沢織が本格的に始まったそうです。
口紅や頬紅の原料である紅花栽培も最上川の舟運で山形と京や大阪が結びついた事から紅花商人(近江商人、山形商人)の活躍で産地が拡大し藩の財政に貢献しました。
花から取れる紅の量はごくわずかで紅一匁は金一匁で取引されたそうです。
明治以降は中国産の安い紅花の輸入や化学染料の普及で一時期完全に廃れますが、戦後、ある農家の納屋で偶然見つかった種子が発芽したことがきっかけで再び紅花栽培が始まりました。
そして昔ながらの草木染めである紅花染めを復活させ「山形紅花染め」としてブランド化したんだそうです。
紅花と言うとピンクや黄色のイメージがあるのですが、藍と混ぜることによって青や紫などたくさんの色が出せるようになったのです。
昔、ジブリの映画で「おもひでぽろぽろ」と言うのがありまして、その映画で初めて紅花の事を知りました。
その主人公の女性が山形の紅花農家の収穫のお手伝いをしに行くのです。
そのアニメの中のセリフで印象に残ってるのがあります。
昔はゴム手袋のようなものはない
娘たちは素手で花を摘み
トゲに指さされて血を流す
その血がくれないの色をいっそう深くしたというのだ
一生 唇に紅をさすことのなかった娘たちの
華やかな京女に対するうらみの声が
聞こえて来るような気がした
(映画:おもひでぽろぽろ より抜粋)
勉強なんだから色んな着物を合わせて顔写りを見てみと先生に言われたので・・・
というわけでさっそく紅花紬を合わせてもらった自由自由。


これぞ「ザ・紅花」と言う色です。
写真では薄い色に見えますが、実際はもうちょっと色が濃いです。
この色を出すのに紅花が何本使われているのか。。。
今まで値札だけ見て「ひぇ~、高い!」

結局17時の終了時間までいてしまいました。
そんなこんなで展示会は楽し~のです。

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