自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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自由自由の社会見学~
何回目か忘れましたが、大人の校外学習です。
抽選で当たった13名が今回はインド、パキスタン移民の多い西葛西を探検しました。
ここはインドやパキスタン人が多く住む地域です。
カレー屋さんが多いです。

いきなり昼食です。混む前に入ろうと言う事です。
「デ・リ・ダバ」という北インド料理を出すお店です。
ハラール認証を受けた食材を出しますと入口に明記されてます。
全員カレーバイキングです。辛かった~!
北インドの味付けは辛いです。
辛くてお腹いっぱい食べれませんでした。
イケメンの店員さんにインタビュー。
最初大阪で働いていましたが友人の誘いでこの街へ移ってきて今は家族(インド人の奥さまと子供)と暮らしているそうです。
いずれはインドに帰るつもりですが、子供はインド人学校には入れず、ヒンディー語は家で教え、日本の学校へ通わせるとつもりだと言ってました。なぜか理由は聞けませんでした。
恐ろしくも本国でのカーストを聞こうとした人がいましたが、先生(写真の女性)に止められてました。
このお店は長く続いてますが、こういうお店はもし経営が悪化して閉店しても、エスニック・ネットワークで同胞や他の南アジア系移民にすぐ売却されるのです。内装がどの店へ行っても同じなのは店舗改装など共通のノウハウを持った専門の業者があるそうです。
お次は食料品を主に扱う雑貨屋さん「スワガット・インディアン・バザール」です。
日本語ぺらぺら

とってもきれいな店内です。
西葛西在住のインドの方々はハイソサエティなのです。このお店は日本だとさしずめ「成城石井」みたいな感じでしょうか。


ここにもインド料理店が。

バスで船堀(ふなぼり)へ向かいます。

船堀から篠崎(しのざき)は中古車解体業者が多く集まっている地域です。
大正~昭和初期にかけてアメリカ車修理の為の部品を取り扱う業者は都心の新橋、亀戸や墨田区あたりに集住していました。戦後、都市化で追い出され江戸川区へ移転。昔の徒弟制により独立した弟子が当時まだ広い土地のあった江戸川区篠崎へ出店したのが始まりだそうです。
その前に、イスラムのモスクではなくハレ―・クリシュナ寺院の外観を見学。
みんなで眺めてたら坊主頭に黄色い僧服の男性がいつのまにか側に立ってて、中を見せてくれることになりました。(ラッキー)
ちょうどお昼時で、信者の方たちが大勢車座でカレーを食べていました。(ちょっと圧倒される図でした)
驚いたことに日本人の女性も多くいました。その中を通らせてもらって奥の礼拝室へ。
カーテンを開くとインドの色んな神様がいました。
真ん中がシバ神、右の猿の顔をしてるのがハヌマ―ン。像の頭はガネーシャ(シバの息子)です。
ヴィシュワンバラ・マハプラブ・ダースさんです。(舌かみそう)
教義はよく分りませんが、ヒンドゥーの分派ではないと言いきってました。
氏が言うにはキリストとクリシュナは同一人物だそうです。
何でもキリストの謎の17年間(14~30歳まで)、インドに渡り修業したそうです。ヒンドゥー教の神様もクリシュナが姿を変えた形だということです。(これはこれで面白い)
マントラ 歌いながら祈るのです。
あれ?どこかで聴いたことある。思いだしました!
自由自由が大好きなミュージカル映画「ヘアー」のワンシーンでした。
そうだ、ビートルズ・ファンなら皆知ってる団体でした。よく聴くと最後ハーレクリシュナーとコーラスしてます。
George Harrison - My Sweet Lord
いつの間にか話は宇宙にまで及んでたので、
まだ説明をしたがるヴィシュワンバラ氏をひとり残して、一行は次へ向かいます。(冷たっ)
空は雲ひとつなく、真っ青。(とある民家のねこ)
今回のメインは中古車業者なのです。
屋上に車がたくさん載っかってます。
ベランダにはタイヤの山が。
何で中古車業とパキスタン人が関係があるの?と思いました。
在日パキスタン人で一番多い業種はカレー屋さんでも何でもなく圧倒的に中古車貿易業なのです。(実に55%以上)
なぜかと言うと、1970年代中ごろパキスタン政府は移民奨励政策 (出稼ぎ)の一環として「ギフト・スキーム」という特典をつけました。
帰国時に一人一台自動車を持って帰ることが出来る制度です。
パキスタンでは中古車輸入が禁止されていたし、日本の中古車は状態がいいので売れるだろうと、当初お小遣い稼ぎ的に始めたのがビジネスとして大成功。
部品がすぐ揃うので修理も早い。
日本の工場労働でためたお金を中古車事業に投資し、企業家になる人も続出したそうです。
写真はみんな日本人経営者の会社です。東京だけではなく日本全国に支店を設けました。
1980年代にはロシア向け輸出も始まり一番の輸出港は富山県の伏木富山港だそうです。
日曜日でオヤスミですが。
上は車のドアばかり
ここはまた別の業者さん
ところが1990年代、スズキがパキスタンに工場を建設。ついで大手トヨタもパキスタンに進出。
新車が売れなくなるとパキスタン政府に圧力をかけ、これにより日本からパキスタンへの中古車輸出規制が厳しくなったのです。
2000年頃にはパキスタン向けの事業は閉鎖しましたが、新たな販路としてアラブ首長国連邦、ニュージーランドなどが出てきました。
パキスタン人の出稼ぎ先は日本よりもヨーロッパやアメリカが断然多いのです。
特にアラブ首長国連邦は建設ラッシュでパキスタン人が多く出ていました。その人たちの名義を使って書類上ドバイ経由でパキスタンに輸出させたのです。(スゴイ!)
細かいカラクリは分りませんが、そういう訳で帰国者の経路と中古車の輸送ルートが違うという珍現象になったのです。
自由自由は全く知りませんでしたが、日本車に限らず、パキスタン人ディーラーのネットワークは今や世界中に広がっているのだそうです。
住宅街の真ん中に鉄くずの山が。
なんかシュ―ルです。
こんなのを見ると、映画「冒険者たち」のオープニングを浮かべてしまうのは性でしょうか。
帰りの電車ではずーっと脳内で「ハーレクリシュナ~」と口笛がこだましていたのです。
お土産は雑貨店で買ったベジタブル・カレー (一袋2人前のパックでした)
インドのカップヌードル
と言う訳でまた少し賢くなった自由自由でした~! ぱちぱちぱち
何回目か忘れましたが、大人の校外学習です。
抽選で当たった13名が今回はインド、パキスタン移民の多い西葛西を探検しました。
ここはインドやパキスタン人が多く住む地域です。
カレー屋さんが多いです。
いきなり昼食です。混む前に入ろうと言う事です。
「デ・リ・ダバ」という北インド料理を出すお店です。
ハラール認証を受けた食材を出しますと入口に明記されてます。
全員カレーバイキングです。辛かった~!

辛くてお腹いっぱい食べれませんでした。
イケメンの店員さんにインタビュー。
最初大阪で働いていましたが友人の誘いでこの街へ移ってきて今は家族(インド人の奥さまと子供)と暮らしているそうです。
いずれはインドに帰るつもりですが、子供はインド人学校には入れず、ヒンディー語は家で教え、日本の学校へ通わせるとつもりだと言ってました。なぜか理由は聞けませんでした。
恐ろしくも本国でのカーストを聞こうとした人がいましたが、先生(写真の女性)に止められてました。
このお店は長く続いてますが、こういうお店はもし経営が悪化して閉店しても、エスニック・ネットワークで同胞や他の南アジア系移民にすぐ売却されるのです。内装がどの店へ行っても同じなのは店舗改装など共通のノウハウを持った専門の業者があるそうです。
お次は食料品を主に扱う雑貨屋さん「スワガット・インディアン・バザール」です。
日本語ぺらぺら
とってもきれいな店内です。
西葛西在住のインドの方々はハイソサエティなのです。このお店は日本だとさしずめ「成城石井」みたいな感じでしょうか。
ここにもインド料理店が。
バスで船堀(ふなぼり)へ向かいます。


船堀から篠崎(しのざき)は中古車解体業者が多く集まっている地域です。
大正~昭和初期にかけてアメリカ車修理の為の部品を取り扱う業者は都心の新橋、亀戸や墨田区あたりに集住していました。戦後、都市化で追い出され江戸川区へ移転。昔の徒弟制により独立した弟子が当時まだ広い土地のあった江戸川区篠崎へ出店したのが始まりだそうです。
その前に、イスラムのモスクではなくハレ―・クリシュナ寺院の外観を見学。
みんなで眺めてたら坊主頭に黄色い僧服の男性がいつのまにか側に立ってて、中を見せてくれることになりました。(ラッキー)
ちょうどお昼時で、信者の方たちが大勢車座でカレーを食べていました。(ちょっと圧倒される図でした)
驚いたことに日本人の女性も多くいました。その中を通らせてもらって奥の礼拝室へ。
カーテンを開くとインドの色んな神様がいました。
真ん中がシバ神、右の猿の顔をしてるのがハヌマ―ン。像の頭はガネーシャ(シバの息子)です。
ヴィシュワンバラ・マハプラブ・ダースさんです。(舌かみそう)
教義はよく分りませんが、ヒンドゥーの分派ではないと言いきってました。
氏が言うにはキリストとクリシュナは同一人物だそうです。
何でもキリストの謎の17年間(14~30歳まで)、インドに渡り修業したそうです。ヒンドゥー教の神様もクリシュナが姿を変えた形だということです。(これはこれで面白い)
マントラ 歌いながら祈るのです。
あれ?どこかで聴いたことある。思いだしました!

自由自由が大好きなミュージカル映画「ヘアー」のワンシーンでした。
そうだ、ビートルズ・ファンなら皆知ってる団体でした。よく聴くと最後ハーレクリシュナーとコーラスしてます。
George Harrison - My Sweet Lord
いつの間にか話は宇宙にまで及んでたので、
まだ説明をしたがるヴィシュワンバラ氏をひとり残して、一行は次へ向かいます。(冷たっ)
空は雲ひとつなく、真っ青。(とある民家のねこ)
今回のメインは中古車業者なのです。
屋上に車がたくさん載っかってます。
ベランダにはタイヤの山が。
何で中古車業とパキスタン人が関係があるの?と思いました。
在日パキスタン人で一番多い業種はカレー屋さんでも何でもなく圧倒的に中古車貿易業なのです。(実に55%以上)
なぜかと言うと、1970年代中ごろパキスタン政府は移民奨励政策 (出稼ぎ)の一環として「ギフト・スキーム」という特典をつけました。
帰国時に一人一台自動車を持って帰ることが出来る制度です。
パキスタンでは中古車輸入が禁止されていたし、日本の中古車は状態がいいので売れるだろうと、当初お小遣い稼ぎ的に始めたのがビジネスとして大成功。
部品がすぐ揃うので修理も早い。
日本の工場労働でためたお金を中古車事業に投資し、企業家になる人も続出したそうです。
写真はみんな日本人経営者の会社です。東京だけではなく日本全国に支店を設けました。
1980年代にはロシア向け輸出も始まり一番の輸出港は富山県の伏木富山港だそうです。
日曜日でオヤスミですが。
上は車のドアばかり
ここはまた別の業者さん
ところが1990年代、スズキがパキスタンに工場を建設。ついで大手トヨタもパキスタンに進出。
新車が売れなくなるとパキスタン政府に圧力をかけ、これにより日本からパキスタンへの中古車輸出規制が厳しくなったのです。
2000年頃にはパキスタン向けの事業は閉鎖しましたが、新たな販路としてアラブ首長国連邦、ニュージーランドなどが出てきました。
パキスタン人の出稼ぎ先は日本よりもヨーロッパやアメリカが断然多いのです。
特にアラブ首長国連邦は建設ラッシュでパキスタン人が多く出ていました。その人たちの名義を使って書類上ドバイ経由でパキスタンに輸出させたのです。(スゴイ!)
細かいカラクリは分りませんが、そういう訳で帰国者の経路と中古車の輸送ルートが違うという珍現象になったのです。
自由自由は全く知りませんでしたが、日本車に限らず、パキスタン人ディーラーのネットワークは今や世界中に広がっているのだそうです。
住宅街の真ん中に鉄くずの山が。
なんかシュ―ルです。
こんなのを見ると、映画「冒険者たち」のオープニングを浮かべてしまうのは性でしょうか。
帰りの電車ではずーっと脳内で「ハーレクリシュナ~」と口笛がこだましていたのです。
お土産は雑貨店で買ったベジタブル・カレー (一袋2人前のパックでした)
インドのカップヌードル
と言う訳でまた少し賢くなった自由自由でした~! ぱちぱちぱち

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