自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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村上水軍博物館にやって来ました。
今治駅からバスで来島海峡大橋を渡り大島(おおしま)ヘ向かいます。
大島から島内の路線バスで10分程で到着です。


水軍とはすなわち海賊の事です。
平安時代から瀬戸内や紀伊半島に海賊は多数存在しましたが、その中でも南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍したのが村上一族です。
ここはその村上一族と水軍の歴史をたどる日本初の海賊衆の博物館なのです。
入口には村上景親(かげちか)公の像が。
エントランス横には小早船(こはやぶね)の復元模型が展示されてました。
小早船は小型の軍船の事で村上水軍では火矢などの武器を使うため主力艦でした。
今は水軍レースでその名残を見れるそうです。
季節柄、特別展では村上家に代々つたわるひな人形も展示されていました。
屋根つきのひな人形って初めて見ました。「御殿飾り」といって西日本では主流だったそうです。
三人官女もみんな違うポーズで立ってます。
*村上家は三島村上氏と呼ばれ能島(のじま)、来島(くるしま)、因島(いんのしま)の三家からなっています。互いに同族意識で結ばれていました。
来島氏、因島氏はそれぞれ守護大名河野氏や大内氏、毛利氏の有力な水軍となりました。
中でも能島村上氏は三氏の中で最も独立性が高く特に村上武吉はどの大名にも臣従せず独自の道を貫いたそうです。(*パンフレットより抜粋)
入口の像、村上景親は能島家の村上武吉の息子です。
有名なのが第一次木津川口の戦いです。
元は織田信長と石山本願寺(今の大阪城の地にあった)との争いですが、本願寺が毛利輝元(てるもと)に救援を要請したため、織田 vs 毛利の戦いになったのです。
その際に毛利水軍として大活躍したのが村上水軍です。
織田軍配下の九鬼水軍によって封鎖されていた木津川河口を突破し九鬼水軍を壊滅させ、本願寺に兵糧、弾薬を届けたのです。
船の復元模型です。
左は安宅船(あたけぶね)で重厚な武装で戦闘時には数十人の漕ぎ手によって推進されました。今でいうと軍艦みたいな感じです。
真ん中が関船(せきぶね)。機動性があって他の船舶に乗りつけることもできます。
右が小早船です。小回りが利くのでほうらく火矢など火器を用いる戦いに適していました。
武器。これで敵の船をひっかけて乗り入れたのでしょう。パイレ―ツ・オブ・カリビアンみたいです。
村上武吉(1533~1634) 村上水軍の最盛期を作りました。
村上水軍は西日本の大動脈である瀬戸内海で要所に関所を設け往来する船から通行料を徴収し、代わりに通行証を発行、瀬戸内海運行の安全を保障するというビジネスで大いに栄えました。(やはり海賊ですが。。。)
塩飽諸島(しわくしょとう)等の他の水軍とも手を結びネットワークを築きました。
余談ですが塩飽諸島の島民は航海技術や造船技術など海に関する知識、技能が卓越しており、江戸時代あの西廻り航路(北前船)も塩飽の堅牢な船舶と優秀な船頭が採用されるほどでした。(た~のウケウリ)
村上武吉、景親親子が着用した村上家伝来の陣羽織
「〇の中に上」という文字は村上家の表紋です。
左は能島村上水軍の旗
「上」の文字は海上通行証である「過書船旗(かしょせんき)」にも記され、この旗を掲げた船が航行の安全、自由を保障されました。
村上水軍は秀吉の朝鮮出兵にも参加しています。
そのせいか村上家には朝鮮人の側室もいたようで、肖像画や華麗な衣類が展示されていました。
下は朝鮮通信使より村上景親にプレゼントとして贈られた朝鮮貴族の姉妹の絵。
右の女性は景親の側室に、左の女性は家臣水沼氏の妻になったそうです。
「朝鮮通信使上関来航図」
朝鮮通信使の船団を村上水軍の舟が取り囲んで護衛しています。
イエズス会の宣教師ルイス・フロイスも村上家の「上」の船旗で無事瀬戸内海を航行できたのです。彼の記した「日本史」にも村上水軍の記述があります。
そんな一世を風靡した村上水軍ですが、1588年豊臣秀吉による「海賊禁止令」で解体。
能島村上氏は周防大島(山口県)へ。来島村上氏は豊後国に転封され完全に海から遠ざけられました。
この他、最近発掘された村上水軍の遺物や城阯の遺跡の調査資料なども展示されていました。
村上家はどこから来たのか出自も明確になっておらず、まだまだ謎の部分が多いそうです。
博物館の外には「村上海賊の娘」のレリーフが。
2014年度の本屋大賞を取ったそうです。知らなかった。

フィクションらしいですが、なんか面白そうなので読んでみようと思います。
。。。というわけでひとしきり海賊のロマンに浸ったので今治に戻ります。
友浦港までバスですぐ。
待合所で船が来るのを待ちます。
切符
船が着ました。思ったより大きい船です。つばめ号です。
乗~船~。見えるのは九十九島です。
よく見ると島の周囲に波が激しくぶつかっています。この辺りは潮の流れが急で海賊の絶好の拠点になったのもうなづけます。
後ろはこんな感じだそう。
黄昏れる自由自由。
20分ほどで今治港に到着です。
しまなみ海道が出来るまでは港も栄えていたのでしょう。
平安閣の看板がぽつんと取り残されていました。繁栄してた頃の名残りです。
商店街も半分以上シャッターが閉まってます。
かまぼこ屋さんと呉服屋さんが目につきました。












実をいうと本当は着物を着て午前中に出かけるはずだったのですが、自由自由の支度が上手くいかず、結局午後になってしまったのです。おまけにバッテリーを充電してたのをコロッと忘れ、空のカメラを持ってきたのでた~は呆れたのか怒ってるのか無口でした。
た~、ごめんね!!

でも諦めきれない自由自由はホテルに戻って再度挑戦!(何のために東京から重たい荷物を持ってきたのか)
今度は無事、一発でお太鼓が結べました。やった~!!
という訳で時間は遅くなりましたが、た~と梅を観ることが出来ました。
ヤフオクで落札した赤の小紋。これを着たかったのです。
着物姿を見ると、途端にた~は顔がほころんで嬉しそうです。
写真をばちばち撮ってくれました。

自由自由のひとり着物撮影会です。
陽が沈むまで綱敷神社を散策。
帰りはバスが終わったのでJRで今治まで戻ります。
一日だけのた~の現地休み、無事終了です。
つづく。。。
all photo by た~(博物館室内展示除く)
ジャズ喫茶マニアナ
今治の梅
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