自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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今治最終日
夜のバスまで時間があるので、四国八十八箇所のお寺のいくつかが今治にあると聞いて行くことに。駅の観光案内所で近いお寺を教えてもらい地図ももらったので早速出発です。
まずは今治駅から徒歩で行ける「南光坊」からです。
四国八十八箇所はよく知りませんが、ここは第五十五番の札所です。
歴史は古く594年推古天皇の時代に創建されました。
建物は第二次大戦で殆ど焼失し、本堂は昭和56年になってやっと再建されたのだそうです。
大師堂 弘法大師像を本尊とするお堂です。
お遍路さんの装束の人が数人お参りしてました。でも車でした。
弘法大師像 脚に何枚も布が巻かれています。
内側と外側に四天王を配した山門。仁王さんではなく四天王です。
朝から快晴です。絶好のお遍路びより。
次は今治駅に戻ってバスで10分。山道を徒歩で600m程歩くと見えてきます。
「延命寺」です。第五十四番の札所
創建は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基によって開かれたそうです。
山門の手前からホラ貝が聞こえてきました。なに?何?
中へ入るとお遍路さんの団体がいました。
あいにく本殿は改修中みたいで仮のお堂の前でお坊さんと一緒にお経を詠んでました。
大師堂へ上る階段
下の駐車場にバスが止まってたのでそれに乗って来たのでしょうか。
へ~、お遍路のバスツアーがあるなんて知らなかったにゃ~。
次のお寺は延命寺からすぐだと駅の案内所の人が言ってたのに全然それらしいのが見当たらず、広い道をとぼとぼ歩いてるとさっきのバスが追い越して行きました。
乗せて~と言いたくなる自由自由でした。(結構距離あるやん)
目印のサークルKを曲がってしばらく歩くとまたもやホラ貝の音が響いてきました。
「泰山寺」です。第五十六番札所です。平安時代空海によって開かれました。

さっきの団体さんはお参りを終えてバスで帰るところでした。
静かです。
たび重なる川の氾濫で苦しんでいた村人たちに空海は堤防を築かせ、土砂加持の秘法を行ったそうです。
ここも梅がきれいに咲いています。


夫婦2人連れのお遍路さんが多かったです。
ここで遅いお昼です。た~が朝、持たせてくれた駅弁をベンチに座っていただきます。
「瀬戸内幕の内弁当」
お寺の境内でお弁当なんて小学生以来です。なんかウレシイな。
俵型のおにぎりがいい。ふんふん(鼻歌)
ぱくぱく
お昼を終えて納経所で御朱印を頂いてる所をしばし眺めていました。
字が丁寧でとってもきれい。(当り前か)
三か所ほどお寺を回ったので予定ではこれで終わりにする筈でしたが、地図を見るとすぐ近くに別のお寺があるみたいなのでそっちにも行ってみることにしました。
横の道を並んで歩いてる3人連れのお遍路さんもいたので近いみたいです。
自由自由はもらった地図の道を歩いていたのですが、その人たちは途中で見えなくなりました。あれ?道間違ったかな?
そうこうしてると橋を渡る手前で三人が突然現れました。道に迷うと行けないのでこっそりついていくことにしました。
地図だとすぐ近くの様に見えたのに歩く、歩く、途中に看板で後2キロと出てました。
うへ~!!
こんな何にもないあぜ道を歩いて行くのです。

とぼとぼ・・・
前のお遍路さんがいきなり民家の横を曲がります。そこには小さな立て札が。
なるほどー、へんろ道っていうのがあったんだ。だから突然消えたり現れたりした訳か。
そうと知ってれば最初からその道を行くんだった。
ようやく到着「栄福寺」です。第五十七番札所です。

嵯峨天皇の勅願で空海が開いたお寺です。
さっきの団体さんはもういませんでしたが2人連れのお遍路さんがたくさんいました。


風にしなる竹がなんとも美しい
これでこの旅では松竹梅を全部見れたことになります。なんかいいことありそう。
この花はなんやろ?


鐘楼の前にはリュックがずらり。
ここで戻ります。ところが今治に戻ろうにも近くにバス停がないのです。
バス停歩いて2kmだそうです。とほほ。
ようやくバス停に到着。小1時間ほど待ってバスに乗れました。ホッ
短いお遍路体験でした。
冬物語
帰りのバスが出るのは18:35なので、た~とは朝別れたのが最後だと思っていたのに、なんとた~は見送りに来てくれました。仕事終わって走って来たそうです。
ところが無情にも出発時間までにはまだ3分もあるのに意地悪な運転手さんはバスの扉を閉めてしまいました。きっとヤキモチ焼いたに違いない。
せっかく会いに来てくれたのに、窓ごしのお別れになりました。

バスの窓から見えるた~は寂しそうでした。
村上水軍と梅下美人
ジャズ喫茶マニアナ
今治の梅
夜のバスまで時間があるので、四国八十八箇所のお寺のいくつかが今治にあると聞いて行くことに。駅の観光案内所で近いお寺を教えてもらい地図ももらったので早速出発です。

四国八十八箇所はよく知りませんが、ここは第五十五番の札所です。
歴史は古く594年推古天皇の時代に創建されました。
建物は第二次大戦で殆ど焼失し、本堂は昭和56年になってやっと再建されたのだそうです。
大師堂 弘法大師像を本尊とするお堂です。
お遍路さんの装束の人が数人お参りしてました。でも車でした。
弘法大師像 脚に何枚も布が巻かれています。
内側と外側に四天王を配した山門。仁王さんではなく四天王です。
朝から快晴です。絶好のお遍路びより。

「延命寺」です。第五十四番の札所
創建は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基によって開かれたそうです。
山門の手前からホラ貝が聞こえてきました。なに?何?
中へ入るとお遍路さんの団体がいました。
あいにく本殿は改修中みたいで仮のお堂の前でお坊さんと一緒にお経を詠んでました。
大師堂へ上る階段
下の駐車場にバスが止まってたのでそれに乗って来たのでしょうか。
へ~、お遍路のバスツアーがあるなんて知らなかったにゃ~。

次のお寺は延命寺からすぐだと駅の案内所の人が言ってたのに全然それらしいのが見当たらず、広い道をとぼとぼ歩いてるとさっきのバスが追い越して行きました。


目印のサークルKを曲がってしばらく歩くとまたもやホラ貝の音が響いてきました。

さっきの団体さんはお参りを終えてバスで帰るところでした。
静かです。
たび重なる川の氾濫で苦しんでいた村人たちに空海は堤防を築かせ、土砂加持の秘法を行ったそうです。
ここも梅がきれいに咲いています。
夫婦2人連れのお遍路さんが多かったです。
ここで遅いお昼です。た~が朝、持たせてくれた駅弁をベンチに座っていただきます。
「瀬戸内幕の内弁当」
お寺の境内でお弁当なんて小学生以来です。なんかウレシイな。
俵型のおにぎりがいい。ふんふん(鼻歌)


お昼を終えて納経所で御朱印を頂いてる所をしばし眺めていました。
字が丁寧でとってもきれい。(当り前か)
三か所ほどお寺を回ったので予定ではこれで終わりにする筈でしたが、地図を見るとすぐ近くに別のお寺があるみたいなのでそっちにも行ってみることにしました。
横の道を並んで歩いてる3人連れのお遍路さんもいたので近いみたいです。
自由自由はもらった地図の道を歩いていたのですが、その人たちは途中で見えなくなりました。あれ?道間違ったかな?
そうこうしてると橋を渡る手前で三人が突然現れました。道に迷うと行けないのでこっそりついていくことにしました。

地図だとすぐ近くの様に見えたのに歩く、歩く、途中に看板で後2キロと出てました。
うへ~!!
こんな何にもないあぜ道を歩いて行くのです。
とぼとぼ・・・
前のお遍路さんがいきなり民家の横を曲がります。そこには小さな立て札が。
なるほどー、へんろ道っていうのがあったんだ。だから突然消えたり現れたりした訳か。
そうと知ってれば最初からその道を行くんだった。

嵯峨天皇の勅願で空海が開いたお寺です。
さっきの団体さんはもういませんでしたが2人連れのお遍路さんがたくさんいました。
風にしなる竹がなんとも美しい
これでこの旅では松竹梅を全部見れたことになります。なんかいいことありそう。
この花はなんやろ?
鐘楼の前にはリュックがずらり。
ここで戻ります。ところが今治に戻ろうにも近くにバス停がないのです。
バス停歩いて2kmだそうです。とほほ。
ようやくバス停に到着。小1時間ほど待ってバスに乗れました。ホッ
短いお遍路体験でした。
冬物語
帰りのバスが出るのは18:35なので、た~とは朝別れたのが最後だと思っていたのに、なんとた~は見送りに来てくれました。仕事終わって走って来たそうです。
ところが無情にも出発時間までにはまだ3分もあるのに意地悪な運転手さんはバスの扉を閉めてしまいました。きっとヤキモチ焼いたに違いない。
せっかく会いに来てくれたのに、窓ごしのお別れになりました。


バスの窓から見えるた~は寂しそうでした。
村上水軍と梅下美人
ジャズ喫茶マニアナ
今治の梅
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