自由自由と書いて、じゅじゅと読みます。
自由自由とは昔読んだ絵本の主人公のネコの名前です。
ネコが好き、映画が好き、た~が好き。
遠距離恋愛中のた~を追いかけて、時々旅をします。
そんな私のぐうたら日記

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た~を追って島根に行きました。
島根は前に一度来ました。
出雲大社やら松江やら駆け足で回りましたが、今回は辺鄙なところです。
新幹線と特急やくもを乗り継いでの旅です。
やくもは車内販売も何もないからと、た~から言われてたので岡山駅でしっかり駅弁とお茶を購入。
「花留多」(かるた)という駅弁です。おいしそう!もぐもぐ。

食べ終わってウトウトしてたら突然車掌の観光案内のアナウンスで起こされました。
伯耆富士(ほうきふじ)と呼ばれる大山が車窓から見えました。
ほんとに富士山に似てる。
と言っても私は富士山は数えるくらいしか観てませんが。。。
電車を乗り継ぎ東京から約8時間。ようやくた~のいる町に到着です。
観光案内所と小さな土産物店だけの駅です。喫茶店も夕方5時に閉まる山陰の町です。
何にもあれへん!

翌日、せっかくなのでた~と石見銀山を見に行くことに。
全部観て周ると1日がかりらしいですが、前日、駅の観光案内所の人に大体のルートと所要時間は聞いてたので、とりあえず一番人気の龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を目指して歩くことに決定!
片道45分の道のりです。
レンタサイクルもありましたが私は自転車に乗るのが下手なのでパス。
でもた~は乗りたそうでした。
音声ガイダンスを首からぶら下げて出~発~!
五百羅漢です。
銀山で亡くなった労働者を供養するのと安全祈願の為に作られたのが始まりだそうです。
岩山を掘った3つの石窟の中に3仏と501体の羅漢坐像が安置されているそうですが、中は見れませんでした。
それぞれの石窟にかかる3つの石造りの反り橋が風情がありました。
ここからは遊歩道沿いに緑の中を歩きます。
清水谷製錬所跡です。
ここへ向かうあたりから、レンタサイクルの集団が軽快にすれ違って行きます。
ゆるやかとはいえ上り坂なのにみんな笑顔でこいでました。電動自転車でした。
「おばはんでも楽に登っとるぞ。」と羨ましそうにた~は叫ぶのでした。
戦国時代から江戸時代初期に栄えた石見銀山ですが、何百年も掘りつくした結果、江戸末期には深く掘り下げないと採掘できなくなったそうです。
それによる水害で採算が取れなくなり廃れていき一時は休山していたそうです。
そんな銀山でも個人の山師による採掘はぽつりぽつりとあった様です。
ちょこちょこ復活することもあって、この製錬所もその時の遺物です。
明治時代に大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)が採掘権を得、巨費を投じてこの製錬所を建設しましたが、鉱石の質が予想以上に悪かったことからたった1年半で操業を停止したそうです。
エアロスミスやボン・ジョビもよく泊る東京のホテル「椿山荘」や「箱根小湧園」、大阪の結婚式場で有名な「太閤園」もホテルになる前は創業者藤田伝次郎の私邸や別荘で、経営している藤田観光はグループ会社だそうです。
間歩ちかくにある高橋家です。
山組頭(やまぐみがしら)を務めた高橋家の遺宅です。山頭組とは鉱山の取締役の事です。
壁に「龍」の文字が。
到着!!
これが龍源寺間歩です。間歩とは坑道の事です。こういうのが何百箇所もあるそうですが落盤の恐れがあるので、ここともう1箇所だけ観光で一部を通れます。(もう1か所は団体のみの予約制なので実質公開されてるのは龍源寺間歩だけです。)
入口です。
いよいよ中へ入ります。
最初はかがまないと頭が付きそうです。
音声ガイダンスによると入口付近は160cmしかないそうです。
岩肌はのみの跡でデコボコに。昼夜3交代で掘り進んでも1日30cmがやっとだったそうです。
今は観光用に電気が灯いてますが当時は暗闇の中だったんだろうな。
途中ところどころに横やら下やらに伸びてる坑道があります。
覗くととても狭いです。ちょうど座って作業が出来るくらいの高さです。
なにやら上からぽたぽたと水滴が。
もともと火山灰で出来た地層の為石灰化してます。
通行禁止の坑道。先は埋められていました。
すると、突然左手に新しい坑道が開けます。
出口用に作られたみたいです。
壁沿いに絵巻が並べて展示されていました。石見銀山鉱山図解
当時の採掘の様子が分ります。
落盤しないように木組を作って行く人、のみで掘る人、掘った岩を運び出す人、地下水を汲み上げる人、坑内に空気を送る人、捨石場に石を拾いに集まってる女や子供の絵もありました。
銀の含有率が少ない石が捨てられるのですが、時々お宝もあったみたいで非番の人夫たちも拾ってたそうです。
後で調べたら当時の人夫の平均寿命は30歳前後だそうです。
坑道はアリの巣のようになっており、どこまでどのように伸びてるか全体像は僅かしか解明されておらずほとんどが未調査だそうです。
出口です。
出口近くにも立ち入り禁止の坑道が。
石見銀山が世界遺産に登録された理由のひとつは世界経済に与えた影響らしいです。
ポルトガルやオランダの東インド会社との石見銀山の銀を媒介とする世界規模の交易です。
当時、世界中に流通していた銀の1/3は日本の銀でそのほとんどは石見の銀だったそうです。
世界の富の1/3をここが賄っていたなんて今から想像できません。
今回は行きませんでしたが銀の積み出し港だった温泉津(ゆのつ)も関連する文化遺産として世界遺産に登録されています。両方見たらもっと面白そう。
帰りは反対側の道を歩いて戻りました。
後ろからスピード出して追い越して行く電動自転車をた~は恨めしそうに見てました。
もう帰りはた~は写真を撮る気力も残ってないみたいでした。
下河原吹屋跡です。
昔の銀精錬所の跡地です。
灰吹法という方法で銀を抽出していたそうです。
だだっ広い原っぱにポツンと建ってます。
「もののけ姫」のたたら場を思い出しました。







往復4.6キロの道のりを歩いた後、遅いランチです。
観光案内所の人に教えてもらった「カフェ住留」(じゅーる)です。
(と言ってもここしか店はありませんでした)
腹ごしらえしたらちょっと元気になりました。
お疲れぎみのた~を残して私だけ街並み地区をダッシュで散策。
なんかとっても女子が好みそうな街並みです。レトロなポストもあります。
カフェです。おっ洒落~!
観世音寺です。
ここの住職が五百羅漢の建立を発願しました。
石段の左下に岩肌をくりぬいてお地蔵さんが。
観世音寺の上に登れば赤い石州瓦の街並みが一望できたそうです。残念!
バスの時間に間に合うようにダッシュ。
た~の待つ休憩所へ。
バスに乗って駅まで。
電車を待ってる間、た~は突然かまぼこを買います。
なにやらパチパチ写真も撮り始めます。
お腹が空いていたんでしょうか。
そこから山陰本線を海沿いに走ります。
海沿いの景色が寂しげできれいでした。考えたらここは日本海でした。
もう夕方です。なんだかんだと一日使ってしまいました。





またまた何にもない町です。
なぜか映画「明日に向かって撃て!」を思い出してしまいました。
3人がボリビアに降り立つところです。
似てる
もちろん無人駅です。
ホテルにチェックインした後、コンビニに夕食の買い出しに。
するとホテルのそばにお好み焼屋さんを発見!夕食はここに決定!
た~はぶた玉、私はもちチーズ
お好み焼きはふたりで食べるとおいしいな。
石見銀山世界遺産の旅でした。
た~、お疲れ様。
ほんとはホテルで寝ていたかったはずなのに。ゴメンネ

つづく。。。。。
photo:
銀山地区、かまぼこ、お好み焼き by た~
やくも車内、街並み地区、山陰本線 by 自由自由
島根は前に一度来ました。
出雲大社やら松江やら駆け足で回りましたが、今回は辺鄙なところです。
新幹線と特急やくもを乗り継いでの旅です。
やくもは車内販売も何もないからと、た~から言われてたので岡山駅でしっかり駅弁とお茶を購入。
「花留多」(かるた)という駅弁です。おいしそう!もぐもぐ。


食べ終わってウトウトしてたら突然車掌の観光案内のアナウンスで起こされました。
伯耆富士(ほうきふじ)と呼ばれる大山が車窓から見えました。
ほんとに富士山に似てる。
と言っても私は富士山は数えるくらいしか観てませんが。。。
電車を乗り継ぎ東京から約8時間。ようやくた~のいる町に到着です。
観光案内所と小さな土産物店だけの駅です。喫茶店も夕方5時に閉まる山陰の町です。
何にもあれへん!


翌日、せっかくなのでた~と石見銀山を見に行くことに。
全部観て周ると1日がかりらしいですが、前日、駅の観光案内所の人に大体のルートと所要時間は聞いてたので、とりあえず一番人気の龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を目指して歩くことに決定!
片道45分の道のりです。
レンタサイクルもありましたが私は自転車に乗るのが下手なのでパス。
でもた~は乗りたそうでした。
音声ガイダンスを首からぶら下げて出~発~!
五百羅漢です。
銀山で亡くなった労働者を供養するのと安全祈願の為に作られたのが始まりだそうです。
岩山を掘った3つの石窟の中に3仏と501体の羅漢坐像が安置されているそうですが、中は見れませんでした。
それぞれの石窟にかかる3つの石造りの反り橋が風情がありました。
ここからは遊歩道沿いに緑の中を歩きます。
清水谷製錬所跡です。
ここへ向かうあたりから、レンタサイクルの集団が軽快にすれ違って行きます。
ゆるやかとはいえ上り坂なのにみんな笑顔でこいでました。電動自転車でした。
「おばはんでも楽に登っとるぞ。」と羨ましそうにた~は叫ぶのでした。
戦国時代から江戸時代初期に栄えた石見銀山ですが、何百年も掘りつくした結果、江戸末期には深く掘り下げないと採掘できなくなったそうです。
それによる水害で採算が取れなくなり廃れていき一時は休山していたそうです。
そんな銀山でも個人の山師による採掘はぽつりぽつりとあった様です。
ちょこちょこ復活することもあって、この製錬所もその時の遺物です。
明治時代に大阪の藤田組(現在のDOWAホールディングス)が採掘権を得、巨費を投じてこの製錬所を建設しましたが、鉱石の質が予想以上に悪かったことからたった1年半で操業を停止したそうです。
エアロスミスやボン・ジョビもよく泊る東京のホテル「椿山荘」や「箱根小湧園」、大阪の結婚式場で有名な「太閤園」もホテルになる前は創業者藤田伝次郎の私邸や別荘で、経営している藤田観光はグループ会社だそうです。
間歩ちかくにある高橋家です。
山組頭(やまぐみがしら)を務めた高橋家の遺宅です。山頭組とは鉱山の取締役の事です。
壁に「龍」の文字が。
到着!!
これが龍源寺間歩です。間歩とは坑道の事です。こういうのが何百箇所もあるそうですが落盤の恐れがあるので、ここともう1箇所だけ観光で一部を通れます。(もう1か所は団体のみの予約制なので実質公開されてるのは龍源寺間歩だけです。)
入口です。
いよいよ中へ入ります。
最初はかがまないと頭が付きそうです。
音声ガイダンスによると入口付近は160cmしかないそうです。
岩肌はのみの跡でデコボコに。昼夜3交代で掘り進んでも1日30cmがやっとだったそうです。
今は観光用に電気が灯いてますが当時は暗闇の中だったんだろうな。
途中ところどころに横やら下やらに伸びてる坑道があります。
覗くととても狭いです。ちょうど座って作業が出来るくらいの高さです。
なにやら上からぽたぽたと水滴が。
もともと火山灰で出来た地層の為石灰化してます。
通行禁止の坑道。先は埋められていました。
すると、突然左手に新しい坑道が開けます。
出口用に作られたみたいです。
壁沿いに絵巻が並べて展示されていました。石見銀山鉱山図解
当時の採掘の様子が分ります。
落盤しないように木組を作って行く人、のみで掘る人、掘った岩を運び出す人、地下水を汲み上げる人、坑内に空気を送る人、捨石場に石を拾いに集まってる女や子供の絵もありました。
銀の含有率が少ない石が捨てられるのですが、時々お宝もあったみたいで非番の人夫たちも拾ってたそうです。
後で調べたら当時の人夫の平均寿命は30歳前後だそうです。

坑道はアリの巣のようになっており、どこまでどのように伸びてるか全体像は僅かしか解明されておらずほとんどが未調査だそうです。
出口です。
出口近くにも立ち入り禁止の坑道が。
石見銀山が世界遺産に登録された理由のひとつは世界経済に与えた影響らしいです。
ポルトガルやオランダの東インド会社との石見銀山の銀を媒介とする世界規模の交易です。
当時、世界中に流通していた銀の1/3は日本の銀でそのほとんどは石見の銀だったそうです。
世界の富の1/3をここが賄っていたなんて今から想像できません。
今回は行きませんでしたが銀の積み出し港だった温泉津(ゆのつ)も関連する文化遺産として世界遺産に登録されています。両方見たらもっと面白そう。
帰りは反対側の道を歩いて戻りました。
後ろからスピード出して追い越して行く電動自転車をた~は恨めしそうに見てました。
もう帰りはた~は写真を撮る気力も残ってないみたいでした。
下河原吹屋跡です。
昔の銀精錬所の跡地です。
灰吹法という方法で銀を抽出していたそうです。
だだっ広い原っぱにポツンと建ってます。
「もののけ姫」のたたら場を思い出しました。









往復4.6キロの道のりを歩いた後、遅いランチです。
観光案内所の人に教えてもらった「カフェ住留」(じゅーる)です。


腹ごしらえしたらちょっと元気になりました。
お疲れぎみのた~を残して私だけ街並み地区をダッシュで散策。

なんかとっても女子が好みそうな街並みです。レトロなポストもあります。
カフェです。おっ洒落~!
観世音寺です。
ここの住職が五百羅漢の建立を発願しました。
石段の左下に岩肌をくりぬいてお地蔵さんが。
観世音寺の上に登れば赤い石州瓦の街並みが一望できたそうです。残念!
バスの時間に間に合うようにダッシュ。



電車を待ってる間、た~は突然かまぼこを買います。
なにやらパチパチ写真も撮り始めます。
お腹が空いていたんでしょうか。
そこから山陰本線を海沿いに走ります。

海沿いの景色が寂しげできれいでした。考えたらここは日本海でした。
もう夕方です。なんだかんだと一日使ってしまいました。






またまた何にもない町です。
なぜか映画「明日に向かって撃て!」を思い出してしまいました。
3人がボリビアに降り立つところです。
似てる
もちろん無人駅です。
ホテルにチェックインした後、コンビニに夕食の買い出しに。
するとホテルのそばにお好み焼屋さんを発見!夕食はここに決定!
た~はぶた玉、私はもちチーズ
お好み焼きはふたりで食べるとおいしいな。
石見銀山世界遺産の旅でした。
た~、お疲れ様。
ほんとはホテルで寝ていたかったはずなのに。ゴメンネ


つづく。。。。。
photo:
銀山地区、かまぼこ、お好み焼き by た~
やくも車内、街並み地区、山陰本線 by 自由自由
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