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アイヌを巡る旅 二日目です。
今回の最大の目的地、二風谷(にぶたに)へ行くのです。
アイヌ民族の聖地です。
7:58苫小牧発に乗り富川で降ります。
そこからバスで資料館前へ向かいます。
ここです。
バス停から徒歩で10分程です。木彫りのお店で道を尋ねて行きました。
分りにくい場所にあります。
やって来ました。
「萱野茂 二風谷アイヌ資料館」です。
アイヌ関連の資料では超一級品揃いです。
研究者や収集家によるアイヌの民具の流出、散逸を懸念した萱野氏が個人で集めた資料や民話(口承文芸)の記録などが展示されています。一括で国の重要有形民俗文化財の指定を受けています。
個人の民家なので観光客が少ないオフシーズンは閉めるみたいです。事前に連絡を入れると開けてくれます。今回も観光協会の人に電話してもらって予約しました。ふ~あぶない、知らずに行ったら見れなかったかも。
中はこんな感じです。室内に所狭しと並べられてます。コレクションが収まりきらないので平取町(びらとりちょう)に寄贈したのもあります。
1971年に開館しています。
実際の熊送りの模様の写真なども多数。結構生々しいのでここでは控えます。
イナウというアイヌの祭具です。
サパンぺと呼ばれる男性の冠。神聖なものなので女性が触ることは禁じられていたそうです。
メノコイタ まな板です。切ったものを横に入れれます。これは便利!
実際は来客用のお膳のような役割で刃物と共に出し、ゆで肉や魚の燻製を盛り付けお客は好きなだけ切って食べるのです。
昨日も見た宝物と呼ばれる本土からもたらされた漆器類です。
チセの中の一番上座に花ゴザを背に飾られました。
ドキパスイ 儀式で供えるお箸です。
女性の儀式用の装身具 タマサイ
母から娘へ受け継がれたそうです。
キラゥウシ トミカムイ(角つきの鍬形)
これはなんだろう?
鍬形とは武士の兜の正面につける前立のこと。
アイヌの首長は前立てだけを至高の宝物としていて、祈りなどに用いていたそうです。
大変な霊力があり、あり過ぎるので長く持ち続けると災いがおこるとされ首長が亡くなるとどこかに埋めたそうです。
そのため現存してるものは少なく、これはユーカラの歌詞に登場するものを復元したものです。
各地域ごとの衣装が引き出して見れるようになっています。
これは二風谷の柄です。近くで見ると刺繍の緻密さが分ります。
アイヌ女性の挨拶。この写真いい。
自らアイヌでもある萱野氏の名が知られるようになったのは二風谷ダム建設反対の訴訟です。
ダムに沈む二風谷はアイヌ文化の伝承地であったためアイヌから激しい反対運動がおこりました。補償交渉などで最終的には妥結されましたが、萱野氏を含めた2人は最後までダム建設に反対し補償金を受け取らなかったためやむなく強制収用されました。1997年のダム完成後に判決が下りました。
この訴訟でアイヌの先住権というのが初めて問題になり、裁判には敗訴しましたが、結果的にアイヌが先住民だったと認める判決になりました。
そして2008年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案」が国会で採択されたのです。
おりしも前年に国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたばかりで国際的なプレッシャーもあってのことでした。
先住民の定義が難しいのでなんとも言い難いのですが、これは異議を唱える人が多いみたいです。
アイヌの民具以外にも2階には世界の少数民族の民具が展示されてました。
窓から見える明治時代に復元されたアイヌの村。
中に入ってみました。
部屋の中央に囲炉裏があり、東の窓は神様が出入りするために開けられているのです。
だから決して外から覗いてはいけないんだそうです。
空が青い!
敷地内に農具や馬具を展示した別館がありました。
中は真っ暗。電気は自分で点けます。
よ~く見るとものすごく古い馬具が無造作に置かれてました。自由自由はこれだけで興味津々。
でるときはちゃんと電気を消して出てきました。
たっぷり堪能しました。
行く時は気付かなかった歩道に描かれたアイヌ文様。
次は「平取町二風谷アイヌ文化博物館」です。
1992年に開館。映像や音声も駆使した今どきの博物館。
作りはスタイリッシュですが、展示の分類が分りにくく、キャプション(説明文)が隅にあり過ぎて見つけにくいし文字が小さすぎる。
なんか自由自由は博物館評論家になったみたいです。
ここには萱野茂アイヌ資料館から寄贈されたものも多くあるそうです。
これは狩猟用の靴。
これは現代の作家が彫った椅子です。
昔はアイヌの男性は彫刻、女性は刺繍が出来て一人前と認められたそうです。
平取町の沙流川(さるかわ)流域には沢山のアイヌコタンがあったのです。
民具保存のための最新の処理の方法なども紹介されてました。
二酸化炭素処理法です。
足跡につられてふら~とトンネルの方へ。
続いて「沙流川歴史館」です。
動物やら人間の足跡でした。上手い演出です。
入口はフクロウがお出迎え。書き忘れましたがフクロウはアイヌの守護神です。
ここは沙流川流域の遺跡から発掘された考古資料が見どころです。
引き出しを自由に開けて各時代ごとの遺物が見れます。
二風谷ダムの模型。
沙流川では山で切り出した木材を春の雪解け水で一気に下流へ運搬する流送が明治時代に行われていました。
展示物を見ながらスロープをあがると二風谷湖を見渡せるテラスに出ます。
ダムで出来た湖です。下には遊歩道もあります。
せっかくなので散歩しました。もちろん歩いてるのは私だけです。
遊歩道沿いには平取町とゆかりのある人物の記念碑が多数ありました。
遊歩道をず~っと歩いて行くと放牧されてる馬が見えました。餌を食べてましたが、私が呼ぶと「ん?」という顔でこっちに来てくれました。
とりあえず挨拶
安心したのかベストポジションで写真を撮らせてくれました。
そろそろ帰ります。
遠くに見えるのは二風谷ダム。
バスの途中で見えた義経神社。
お~!やっぱり来てたか義経!津軽海峡で別れて以来です。この後はモンゴルへ渡ったのでしたね。そしてモンゴル(元)は九州へ。ん?なんか話がリンクしてきた。
富川に戻って来ました。
ここで長~い電車待ち。無人駅です。待合室で出会った品のいいおばあちゃんと小一時間お話しました。「どこへ観光してきたの?」と聞かれ二風谷だと言ったら「あそこに何があるの?」と言われてしまいました。アイヌ資料館だと言うと「あ~」と思いだしたようで自分が子供の頃にいたアイヌの家族の話をしてくれました。
そして南千歳からスーパーおおぞらで一気に釧路へ
4時間の長旅です。
列車の中は札幌からのビジネスマンで満席。中は暖房が最高に効いててモコモコの格好の自由自由は浮いてました。
22:01釧路着
目的地は阿寒湖なのですが、釧路から阿寒湖温泉への連絡がもうないので今夜は釧路に泊ります。
は~。今日もお昼食べそびれた。。。。
列車内で買った駅弁「知床とりめし」です。
つづく。。。